飯田哲也氏 甲子園の魔物が牙を…新湊旋風に飲み込まれた春【プロ野球OBが語る春のセンバツ】
飯田哲也氏(元ヤクルトなど)/拓大紅陵(千葉)=1986年
1986年に春夏の甲子園に出場。当時は「東の横綱」と呼ばれ、優勝候補の一角だった。その扇の要となる捕手を務めていたのが飯田氏だ。初戦の洲本(兵庫)戦は1イニングに3刺殺とアウトすべてを奪い、5番打者としてホームランも記録。8-0で洲本を下し、2回戦に進出した。
「3刺殺のすべてを覚えているわけではありませんが、全部二塁上で刺しました。確か2つは牽制。走者がリードを大きく取っていたので、遊撃手とアイコンタクトで牽制……でしたね。あの3刺殺で肩の強さを評価され、その後のプロ入りにつながったんです」
しかし、2回戦に甲子園の魔物が牙をむく。この春、「新湊旋風」を巻き起こした新湊(富山)だ。
「六回表まで4-0と完全に我々のペース。ところが、その裏に一挙6失点ですよ。普通にやれば勝てたはずの試合だったんですが……」
新湊はこの年が初めてのセンバツ出場。富山県勢がセンバツに出るのも16年ぶりで、決して下馬評は高くなかった。それが初戦で強豪・享栄を撃破したものだから、「判官びいき」のきらいがある高校野球ファンにはたまらなかっただろう。