橋本清氏 「逆転のPL」が本領を発揮した1987年の準決勝【プロ野球OBが語る春のセンバツ】
橋本清氏(元巨人など)/PL学園(大阪)=1987年
1987年センバツで5年ぶり3度目の優勝を飾り、同年春夏連覇を達成した。野手は立浪和義、片岡篤史、投手は野村弘樹、橋本清、岩崎充宏が投手3本柱を担い、歴代屈指の好チームを形成した。同大会で“胴上げ投手”となり、同年ドラフト1位で巨人へ入団した橋本清氏は、「ぶっちぎりで春夏連覇したイメージが強いと思いますけど、やっている方からすると結構ギリギリの試合が多かったですね(苦笑い)。巡り合わせが良かった面もあったと思います」と、当時を振り返る。
「1回戦の西日本短大付(福岡)の石貫宏臣、決勝の関東一(東京)の平子浩之はそれぞれ大会屈指の好投手。西短戦では石貫から序盤に3点を奪ったものの、五回以降は無安打。初戦で当たっていなかったら負けていてもおかしくなかった。関東一の平子も決勝まで1人で投げてきた分、疲労の色が濃かった。決勝でなければ打てなかったかもしれない。チームメートもそんな気持ちだったと思います」
1回戦から計5試合の激闘を戦った中で、橋本氏が印象に残っている出来事がある。延長十四回にサヨナラ勝ちを決めた準決勝の東海大甲府戦(8-5)。先発の野村が序盤に打ち込まれ、五回終了時点で1-5。「正直、終わったなと思いました」と苦笑する劣勢の展開で「逆転のPL」が本領を発揮する。
「六回、2番・西本篤史の平凡な左飛を相手左翼手が目測を誤り落球。4番・深瀬猛の左翼への飛球も同様にまさかの安打となった。ベンチの全員が『マジかよ!?』という感じで(笑い)。この回、一気に同点に追いつきサヨナラ勝ちにつなげた。『逆転のPL』のフレーズが僕らの力になった一方で、対戦相手は試合を優位に進めながらも、僕ら以上に重圧を感じるのか、終盤になるとエラーやミスで自滅をするケースが少なくなかった。そうやって勝つことで、チーム全体がどんどん盛り上がっていきましたね」
戦力もさることながら、他校を圧倒するオーラが87年Vを後押しした。