虎の生え抜き大砲候補・桜井広大を育てられなかった阪神の構造的問題
6年目の07年、一軍初出場からブレークし、打率.281。09年には打率.302、12本塁打のキャリアハイの成績を残した。しかし、右肘を故障。結局、完治することはなく、11年オフに28歳で戦力外通告を受けたのは残念だった。素直な性格で「多くのアドバイスを聞き過ぎてしまって混乱した」と後に明かしていた。ファームの打撃コーチとして接したのは1年だけだったが、なんだか申し訳ない気持ちになった。
あれほどの素材を開花させられなかった周囲の責任は大きい。阪神は他球団よりコーチの人数が多い。「船頭多くして船山に登る」ことがよくある。我々コーチは指導法が一貫しているか、常に注意をしないといけない。
選手には「コーチの自分が言うのもなんだが、取捨選択が大事だ」と伝えたが、これは全員ができるわけではない。
■「うてる捕手」は一軍でイップスに
二軍のバッテリーコーチとなった05、06年に指導をした捕手が狩野恵輔だった。肩が強くて打撃もいい。今で言う「打てる捕手」だった。06年にはウエスタン・リーグの首位打者となり、09年には一軍の開幕マスクをかぶったが、一軍で「イップスになってしまった」と後で聞いた。