滝川高時代に「昭和の怪物」作新学院・江川卓の球を2球ファウルしただけで新聞に載った
ここからは私がアマチュア時代の話をしよう。
「昭和の怪物」江川卓に最初に会ったのは1973年3月。私が滝川(兵庫)3年の春だった。
作新学院(栃木)がセンバツ甲子園に出場することになっていて、関西で練習場所と相手を探していた。数年前に作新学院から滝川に赴任した先生がいた縁で、合同練習をすることになったのだ。
江川は2年夏の栃木大会で完全試合1度を含む、3試合連続ノーヒットノーランをマークするなど、すでに有名な投手だった。滝川のグラウンドに登場すると、まるで象のような尻の大きさに驚いた。次にキャッチボール。軽く投げながら90~100メートルと距離を延ばしていく遠投は、球の回転が良くて伸びるため、なかなか下に落ちてこないように見えた。そんな軌道を見たのは始めてだった。
■センバツ前の合同練習で4番の私は…
その後のシート打撃。最初はアンダースローの大橋康延(大洋2位)が投げて、次に江川が出てきた。滝川の1~3番は直球を全て空振りで、かすりもしなかった。が、4番の私は2球ファウル。江川の目の色が変わった。次の3球目は私の頭部付近へ。やばい! と慌ててよけると、目の前で大きく曲がるカーブ。なんとストライクだった。結局、見逃し三振。当時の江川は直球とカーブの2種類だけ。とはいえ、どちらも凄まじい球だった。