自主トレをセッティングしてくれたのは仰木新監督 そこにはある「意思」があったのかも
1試合でも引き分ければ、その時点で西武のリーグ4連覇が決まる。近鉄が優勝するためには2連勝しかない。1988年10月19日。川崎球場で行われたダブルヘッダー第1試合は午後3時にスタート、序盤から激しく動いた。
近鉄は初回、先発の小野和義がロッテの愛甲猛さんに先制2ランを浴びてしまう。打線は五回2死まで無安打、ひとりの走者も出せないでいた。そして五回、2死から鈴木貴久さんのソロで1点差に迫ったころだったと思う。私はジャンパーを羽織ったまま、三塁側のブルペンに向かった。だれに指示をされたわけでもない。リリーフで投げる可能性のある投手は、みな、それくらいのタイミングで準備を始めた。
先発の小野は15日の南海戦から中3日でマウンドに上がっていた。2日前の阪急戦で128球を投げた自分も、リリーフの機会があれば投げるつもりでいた。権藤博投手コーチには「そのときがくれば無理をしてもらうかもしれない」と言われていたし、何より自分はその年の開幕投手を務めていた。仰木彬監督が「アンタに任せる」と言ったのは開幕に限らない。そこには先頭に立って投手陣を引っ張ってもらいたいという期待が込められていると思った。