あの「10.19」から1年後…パ・リーグ優勝争いはまたしてもダブルヘッダーに
最後の試合に勝てなかったけれども、負けたわけではない。1988年10月19日、川崎球場のダブルヘッダーで経験した悔しい思いを私はもちろん、近鉄の選手全員が忘れてはいなかった。
翌1989年のシーズン。6月下旬には首位オリックスに8.5ゲーム差をつけられても、我々は諦めなかった。西武、オリックス、近鉄の三つ巴は最後の最後までもつれ、近鉄が逆転優勝するためには10月10日からの西武3連戦に全勝するしかなかった。
初戦は近鉄が3-2で競り勝ち。翌11日は雨天順延となり、12日にダブルヘッダーが組まれることに。ダブルヘッダーで涙をのんだ1年前のことがあっただけに、今年こそ絶対に勝つーー。ナイン全員が強い気持ちをもっていた。
その当日の試合前の話だ。この日のダブルヘッダーに先発する候補は私と高柳出己の2人しかいなかった。が、どちらが第1試合に先発するのかは、当日朝になっても決まらなかった。パ・リーグが全公式戦の予告先発を採用するのは94年からで、当時の予告先発は日曜日だけだった。