釜本美佐子・日本ブラインドサッカー協会初代理事長がAJPSアワードを受賞
東京パラリンピック5位入賞に尽力
一般社団法人・日本スポーツプレス協会(AJPS/代表・赤木真二)が6月23日、東京・池袋の自由学園で「AJPSアワード2022~Unsung Hero~」の表彰式を開催。日本ブラインドサッカー協会の初代理事長を務めた釜本美佐子氏を受賞者として発表した。
AJPSは1976年6月に設立され、日本国内外で活躍するフリーランスのジャーナリスト、スポーツフォトグラファーが所属。
その「スポーツ報道のプロ集団」であるAJPSが「取材を通して知った日本のスポーツを陰から支える人々を顕彰する」としてAJPSアワードを設立。2007年度からスポーツ界の「縁の下の力持ち」を表彰してきた。
■世界140カ国以上の海外添乗歴
日本サッカーのレジェンド・釜本邦茂氏の実姉である美佐子氏は1940年に京都市で生まれ、大阪外国語大(現大阪大)卒業後、日本交通公社(JTB)海外ツアー専門部のツアーコンダクター第一期生として140カ国以上の海外添乗に従事した。
1993年に網膜色素変性症を患い、全国視覚障害者外出支援連絡会会長、網膜色素変性症協会会長などを歴任。2001年に視覚障がい者サッカーを導入するために韓国へ視察に行き、2002年の日本ブラインドサッカー協会設立と同時に理事長に就任。2018年に退任するまでの17年間、競技の普及と競技環境改善のために心血を注いだ。表彰式に出席した美佐子氏に聞いた。【聞き手=六川亨・元サッカーダイジェスト編集長】
東京パラリンピック5位入賞に感激
「栄えある賞をちょうだいしまして大変に感謝しております。ありがとうございます。視覚障がい者としは若葉マークの時代でしたが、韓国に出かけて初めてブラインドサッカーを見た時、視覚障害者がボールを蹴られるの? その前にひとりで杖も持たずに走れるの? とびっくりしながら感激しました。2004年アテネ・パラリンピックには、もう半分(目が)見えなくなっていましたが、ひとりで視察に出かけました。当時、日本に音の出るボールを作って会社はなく、アテネからボールを20個いただいて持ち帰り、(国内の)全チームに配りました」
「東京パラリンピックは無観客でしたし、自宅でテレビを通して代表の活躍を感激しながら<聞いて>いました。これまで中国、イランに阻まれてラリンピックへの道のりは険しかった。今回は地元開催なので負け続けると『開催枠だから』と言われてしまいます。良い成績(5位入賞)を収めてくれて嬉しく思いました。あと黒田智成選手が順位決定戦の後、背中にKAMAMOTOと書いてある背番号15のユニフォームに着替えてくれたと聞き、凄く感激いたしました。私の宝物です」
■2023年に女子世界選手権が開催
「現在、全国で31のチームが活動しています。次のパラリンピックを目指してぜひ頑張って欲しいです。女子チームも応援しています。最初の頃は人数が揃わず、弱視の人も含めてチームを作ることもありました。アルゼンチンのチームと国際交流を重ね、欧州でも女子チームが増えてきていると聞いています。2023年に女子の世界選手権が開催されることを嬉しく思います」
「ブラインドサッカーというのは、健常者もアイマスクをすれば参加できるスポーツです。健常者がアイマスクをしてプレーし、ゴールを入れた瞬間にもの凄く喜んでくれました。視覚障害者も健常者も一緒になって楽しめるスポーツなんです」
「ブラインドサッカーも含めた障害者サッカーの存在が、日本サッカー協会(JFA)から認めていただくのに時間が掛かりましたが、まずは障がい者サッカーの団体を作り、その取り組みもあってJFAから『同じサッカー仲間なんだ』と思っていただけるようになりました。本当に嬉しく思っております」
実弟・釜本邦茂氏が「目じゃねぇよ」
「弟もいろいろ応援してくれています。日本で初めて世界大会を開催した時に駆け付けてくれました。そうそう弟の顔が大写しになったポスターにも出てくれました。<釜本邦茂 吼える! 目じゃねぇよ>というキャッチコピーでしたね」
「私も視覚障害者になってから障がい者スポーツを、ブラインドサッカーを深く知るようになりました。障害者スポーツも浸透してきていますが、たとえば障害のあるキッズたちのスポーツ参加の環境が、より改善されることを願っています。私自身で言いますと(東京都障害者スポーツ大会で)3年ぶりに100㍍を走りました。記録は……恥ずかしいですが、31秒でした。最初は22秒でした。27、28秒くらいを目標に来年も走ります
「これから先、障害者が当たり前のように町の中を歩き、健常者が当たり前のように『何かお手伝いしましょうか?』と声掛けできる世の中になっていけば、これほど嬉しいことはありません」