横浜移籍1年目、権藤監督は独り言のようにつぶやいた「近鉄時代を思い出せ…」
■打者に向かっていく強い気持ち
横浜移籍1年目の98年。私は敗戦処理からスタートした。開幕直後に脇腹を痛めたものの、症状は改善し、徐々に重要な場面で投げるように。負け試合ではなく強打者を迎えたり、ピンチを迎えた場面でマウンドに上るようになっていった。それだけに権藤さんは、私が近鉄で投げていたときのような打者に向かっていく強い気持ちを呼び起こそうとしたのだと思う。
「近鉄時代を思い出せ……」
私が投球練習をする横で、権藤さんがこんなふうにつぶやいたことは何度かあり、そのたびに意気に感じた。
さて、横浜は7月12日、帯広で行われた中日戦で劇的な試合をやった。
九回表が終わった時点で3-9。中日は落合英二、宣銅烈とブルペンが強力だったものの、九回裏に彼らを攻略、一挙6点を奪って同点に追い付いた。
試合は延長十二回、日没コールドで引き分けたが、それまで手も足も出なかった2人を打ち込んだことでチームの士気は上がった。
移動日をはさんで本拠地の巨人戦。1試合目は8-7、2試合目は13-12。マシンガン打線で壮絶な打撃戦を制して、いよいよチームにスイッチが入った。=つづく