権藤監督から怒られると思ったら「よくストライクを投げ続けた」と褒められた
1998年シーズン、敗戦処理からスタートした私は次第に重要な場面で登板するようになった。
この年は主にリリーフで50試合に登板したものの、防御率は4.67と決して芳しくなかった。当時の他球団の主力のほとんどは左打者。広島しかり、巨人しかり。「対戦するバッターはいつもクリーンアップですよ。そこを評価してください」と、暮れの契約更改で言ったほどだ。
■ひとりも抑えられずに降板…怒られるかと思ったら
あれは横浜スタジアムの巨人戦だった。終盤リリーフでマウンドに登るも2安打され、ひとりも抑えられずに降板。松井秀喜には二塁打を打たれた。
継投で権藤監督がマウンドにやってきた。何をやってるんだ! そんなふうに言われると思った瞬間、
「この状況でよくストライクを投げ続けた」
と、例によって、つぶやくように言われた。打たれたが、四球を出したわけではない。巨人の中軸相手でも、逃げずに勝負したことを評価してもらえたのだと思う。怒られると思ったら、むしろ褒められて交代しただけにベンチに戻る途中、思わず笑ってしまったほどだ。