権藤監督から怒られると思ったら「よくストライクを投げ続けた」と褒められた

1998年シーズン、敗戦処理からスタートした私は次第に重要な場面で登板するようになった。
この年は主にリリーフで50試合に登板したものの、防御率は4.67と決して芳しくなかった。当時の他球団の主力のほとんどは左打者。広島しかり、巨人しかり。「対戦するバッターはいつもクリ…
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