著者のコラム一覧
元川悦子サッカージャーナリスト

1967年7月14日生まれ。長野県松本市出身。業界紙、夕刊紙を経て94年にフリーランス。著作に「U―22」「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年 (SJ sports)」「「いじらない」育て方~親とコーチが語る遠藤保仁」「僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」など。

森保ジャパンの1トップ上田綺世「世界に通用する2つの武器」 恩師が明かす成長の軌跡

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点を取ることに執着する

 ──人間的な変化も見て取れた?

「そうですね。もともと上田には<甘ちゃん>なところがあって厳しい練習を嫌がったり、守備をサボったり、練習試合で100%の力を出し切らなかったり、がありました。『おまえ、大丈夫か。しっかりしろよ』と私から声をかけることもありました(笑)。横着な部分もあるし、マイペース人間なんですよ。でも高3からは意識に変化が見られ、点を取ることに対してもの凄く執着するようになった。私も『おまえの良さを出して勝負しろ』『点を取ることだけにこだわれ』と長所を伸ばすことにフォーカスさせましたね」

 ──高校総体や高校サッカー選手権でも活躍した。

「はい。大事な試合で必ずと言っていいほど点に絡む仕事をしてくれました。総体は3回戦で青森山田に、選手権も2回戦で東海大仰星に負けましたが、一年を通して上田を使い過ぎたことで選手権はプレー時間を制限しました。結局、勝てなかったですね。高3で一番鮮明に覚えているのが、16年茨城県リーグ1部の水戸ユース戦。前半1-4で負けていたのに5-4とひっくり返して勝ったんですが、後半の得点の大半を上田が決めた。『これは止められない』という勢いを感じさせましたね。ゴール前で冷静に決められる選手になっていた印象です」

 ──それだけ活躍していれば、お膝元の鹿島が注目しないはずがない。

「鹿島やそれ以外のJリーグのスカウトも見てくれていましたが、『今はまだ早い』という判断だったと思います。私自身も、4年後にプロになるためにも大学へ行った方がいいと感じていました。実際、複数の大学からオファーもあった。そこで私の高校の後輩に当たる長山一也監督が指導している法政大学を勧めました。上田は『先生の言うところに行きます。学部も学科も任せます』と素直に受け入れてくれた。スポーツ健康学部に入学することになりました」

 ──法大では1年から試合に出て、東京五輪代表候補にも選ばれた。

「法政で上田の良さを最大限に生かしてもらえたのが大きかったんでしょうね。鹿島学園と違って法政は周囲の選手のレベルも高いですから、得点の部分をより研ぎ澄ませることができたんだと思います」

 ──大学3年だった19年にはコパ・アメリカに参戦。鹿島入りを決断した。

「2年の時に鹿島の特別指定選手になり、いずれは鹿島入りするんだろうと思っていました。練習に行く途中によく高校にも顔を出し、近況を伝えてくれました。コパで代表デビューした時はうれしいのひと言でしたね。直後、法政のサッカー部を退部して鹿島入りすると伝えられた時には『おまえの人生だから、おまえが決めろ』とストレートに言いました。当時、会うたびに体が大きくなり、上に行きたいという野心を高めていたので『プロ向きだな』と感じたのは確か。あとは自信をつけることだけかなと感じていました」

■カタールで生観戦したい

 ──ベルギー行きについては?

「2月ごろに『欧州移籍を考えている』と相談されました。鹿島もタイトルから長らく遠ざかっていたし、今年は絶対に優勝しなければいけない、と上田本人も責任も感じていました。『鹿島を優勝させてから欧州へ行くのがベストだけどサッカー選手にはタイミングがある。やはり挑戦した方がいい』と私はそう伝えました。本人も割り切って行くことを選択したと思います」

 ──次なる目標はカタールW杯だが。

「心の底からメンバー入りできるように応援していますし、まずケガをしないようにしてほしい。上田は『自分は自分!』という意識の強い人間です。どんな状況でも周りに左右されることなく前進していくはず。今の体の強さ、パワーは必ず世界相手に通用する。前線でボールを収める仕事もできる。自分の力を最大限、出してゴールに向かってほしいです」

 ──青森山田高の黒田剛監督はロシアで(教え子であるMF)柴崎岳を見て涙を流していた。

「もしも本当に上田がカタールW杯に出ることになれば、私にとっても一生に一度のチャンス。単なる一教員の立場なのでワガママも言えないですが、もし可能ならば……ぜひ現地に行って上田のプレーを見たいです!」

(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト、絹見誠司/日刊ゲンダイ

上田綺世(うえだ・あやせ) 1998年8月28日生まれ。茨城・水戸市出身。J鹿島ジュニアユースから鹿島学園高。法大に進み、2年時に全日本大学サッカー選手権の優勝に貢献した。2019年7月に法大サッカー部を退部し、21年に加入が内定していた鹿島に前倒しで入団。22年にベルギー1部セルクル・ブルージュに完全移籍。法大在学中の19年にコパ・アメリカで代表デビューを果たした。21年東京五輪に出場。

鈴木雅人(すずき・まさと) 1975年5月9日生まれ、東京・八王子市出身。山梨・帝京三高から東海大体育学部に進んでコーチング理論を学ぶ。2001年に茨城・鹿島学園高に保健体育科の教諭として赴任。サッカー部の監督に就任した。04年度の第83回高校サッカー選手権に初出場。08年にU-17日本代表コーチ。同年度の高校サッカー選手権でベスト4入り。16年から同高校女子サッカー部総監督に就任した。

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