著者のコラム一覧
武田薫スポーツライター

1950年、宮城県仙台市出身。74年に報知新聞社に入社し、野球、陸上、テニスを担当、85年からフリー。著書に「オリンピック全大会」「サーブ&ボレーはなぜ消えたのか」「マラソンと日本人」など。

「さすらいのジャパンオープン」はテニス協会の体質を変えない限りこれからも続く

公開日: 更新日:

 楽天テニスのジャパンオープンのスポンサーを降り、今秋から男女の「木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス」として再スタートすることになった──。

 ジャパンオープンは、フリーカメラマンだった川廷栄一氏(故人)が1972年、オープン化時代に呼応し孤軍奮闘でつくった大会だ。当時の日本協会はプロを相手にせず、風向きが変わったのはバブル真っただ中の80年代。自民党重鎮で日本協会会長だった小坂徳三郎が東京都の鈴木俊一知事に働きかけて「有明テニスの森」を開場、87年に50億円で“アジア初のセンターコート”を銘打ったコロシアムが完成。同時に世界4強を一堂に会した「サントリーカップ」を公式ツアー戦「サントリージャパンオープン」へ鞍替えした。

 この頃、テニス誌に「さすらいのジャパンオープン」という文章を書いた。協会は都にコロシアムにふさわしい4大大会を持ってくると豪語していた。南半球の全豪、クレーコートの全仏は人気がなく目算はあったのだが、器はできても中身がままならず、そこで電通が動いた。

 電通には川廷氏とテニス仲間のS氏がいた。いま渦中の人物もいたはずだが、当時の電通はほぼ個人裁量で動いていた。選手組合(ATP)と国際テニス連盟(ITF)のつばぜり合いの最中、宙に浮いていたアトランタ大会が経営難と知ると、アタッシェケースに現ナマを詰めて権利を買いに行った……金で体裁を整えただけではないか、それで「さすらい」としたのだ。後日、川廷氏から電話があった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    相撲協会の逆鱗に触れた白鵬のメディア工作…イジメ黙認と隠蔽、変わらぬ傲慢ぶりの波紋と今後

  2. 2

    中居正広はテレビ界でも浮いていた?「松本人志×霜月るな」のような“応援団”不在の深刻度

  3. 3

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  4. 4

    《2025年に日本を出ます》…團十郎&占い師「突然ですが占ってもいいですか?」で"意味深トーク"の後味の悪さ

  5. 5

    ヤンキース、カブス、パドレスが佐々木朗希の「勝気な生意気根性」に付け入る…代理人はド軍との密約否定

  1. 6

    中居正広の女性トラブルで元女優・若林志穂さん怒り再燃!大物ミュージシャン「N」に向けられる《私は一歩も引きません》宣言

  2. 7

    結局《何をやってもキムタク》が功を奏した? 中居正広の騒動で最後に笑いそうな木村拓哉と工藤静香

  3. 8

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  4. 9

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  5. 10

    高校サッカーV前橋育英からJ入りゼロのなぜ? 英プレミアの三笘薫が優良モデルケース