プロ戦力外翌日に会社設立、現在は保険代理店経営 土屋健二さんの原点は粗利600万円の野球教室
野球とビジネスに生きたダルビッシュの衝撃
2018年、知人が立ち上げた保険代理店に就職し、完全歩合制の営業マンとして第一歩を踏み出した土屋健二氏。「人脈作りは、現役時代からやっていたことがある」と、こう話す。
「15年は、戦力外を告げられるだろうと分かっていました。現役選手だからこそ、つくれる人脈がある。落ち目といえど、現役選手と元プロ級選手とではブランドに天と地ほどの差があります。野球をやりながら六本木のクラブなど、色んな社交場に顔を出しました。お店のママさんたちには各業界の社長たちに自分を売り込んでもらうように頼んだりも。そうして縁ができた社長には、『何をしたらお金を稼げますか』『今年でクビになると思うので』と、積極的に聞いていました」
現役晩年の一部をセカンドキャリアに繋げるための投資に充てたが、野球にも最後まで真剣に向き合った。プロ2年目の出会いが、土屋氏を駆り立てていたからだ。
「ダルビッシュさんの投球を見たとき、心の底から、勝てないだろうと思った。トップはこんな人たちなんだなって。同時に、僕のせいで挫折して野球をやめていった人がたくさんいるだろうなと気付いたんです。『アイツがいるから投手をやめる』みたいな。そんな人たちのためにも、1日、1日を大切にして野球をしなきゃいけない。僕はダルビッシュさんと同じ結果は出せなくても、同じような練習や心がけ、取り組みはできる。時間を無駄にできないから、練習方法を巡って首脳陣と対立したこともありました。野球は一切手を抜かず、後悔ないくらいにやりきった。だからセカンドキャリアにも全力を注げているのだと思います」
"一流"と同じような取り組みはできる。この思考はビジネスにも置き換えられる。営業は初体験。保険営業マンになると、手本の対象をダルビッシュから、結果を残している先輩営業マンに移し替えた。
人脈作りに商品の勉強、営業スキルの習得など、こなさなくてはいけないタスクは山積みだった。当初は気が急いて、空回りも経験した。
「初月の月収は9万円でした(笑)。正直、『少なっ! 保険って稼げないのかな』なんて思いましたよ。かなり売り上げたと思っていたので。でも、"攻め"ばかりに重点を置きすぎていて、手続きの不備が多かったんです。そうやって、体当たりで経験しながら保険営業の術を学んでいきました。修業期間は2年ほどで、睡眠時間は3~4時間。すごくキツかったけど、最後の年は年収3000万円を超えていたと思います」
もともと、ここは独立するための足掛かり。18年に退社し、「TKホールディングス」を立ち上げた。現在の社員数は5人。昨年は新卒を採用するなど、積極的に規模を拡大している。
「保険代理店の業態は、『1人』では勝てなくなっているからです。例えば、A社から受託しているとして、『〇件以上の契約件数を取らなければ、支払う手数料のランクを下げる』というようなノルマが課せられている。それが年々厳しい数字になっています。だから、会社という組織全体で契約数を稼がなくてはいけません。社員を増やそうとしているのはそのためです。いずれは、20~30人規模の会社にしたい」
自分さえ売り上げを出していればよかった頃とは違い、採用活動や社員教育にも心血を注がなくてはいけない。土屋氏が新入社員に求めるのは、経験よりも人柄だという。
「コイツにだったら尽くしたい、応援したいと思える子と働きたい。素直で清潔感があって、覇気や根性、やる気がありそう……とか。ただ、営業にはセンスも求められる。そこは教育する上で難しいところ。営業マンにはそれぞれのスタイルがありますね。だから、僕は『こうやってみたら?』と、なるべく多くの提案をします。その中でいろいろ試して、自分に合うものを見つけてくれたらなと。野球のコーチみたいな役割です。未経験者も採用する理由? 『ゼロからここまで育てた』となれば、皆から喜んでもらえるし、やりがいもあるからです」
土屋氏が未経験から育てたある社員は入社2年で驚きの成果を挙げていたーー。