【ボートレース・女子レーサー丸かじり】寺田千恵選手(上)散らかったはずれ舟券をゴミ箱に片づけていた少女時代
それで私が高校を卒業する時、体が小さかったのと性格的に負けん気が強いところもあったので「おまえはボートレーサーに向いている。やってみないか」と父親に勧められたんですよ。その時やりたい仕事があるわけでもなく、体を動かす仕事だったらいいかなと思って試験を受けました。それがボートレーサーになったきっかけですね。
■苦しかった本栖研修所時代。辞めなかったのは同期からの相談
試験は2回目に受かって山梨県にあった本栖研修所に入りました。同期はたしか約60人いてそのうち女子は20人くらいだったと思いますが、そこでの1年間は言葉では言い表せないくらい厳しかったですね。
最初は体力づくりということで腕立て伏せをやらされたんですけど回数じゃなくて2時間ぐらいやる。もうこれいつ終わるのって泣きたくなるような気持ちでした。どうやったらサボれるか、そればかり考えていましたね。そして、やっと腕立て伏せが終わると今度は腹筋をお尻の皮がむけるくらい延々とやらされるんですよ。なので入ってすぐ「ウチに帰りたいなあ。ここは私のいるところじゃないわ」って思っていました。