大岩ジャパンOA枠の行方…アジア杯Vの立役者FW山田楓喜とGK小久保はパリ五輪に出場できるのか
カタールで開催されたU23アジア杯の準決勝でイラクを下したU23日本代表は、8大会連続の五輪出場権を獲得した。ウズベキスタンとの決勝では互いに譲らず、0-0で突入した後半アディショナルタイムの45+1分にMF藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)からFW荒木遼太郎(FC東京)にボールが繋がり、最後はMF山田楓喜(東京V)が得意の左足で決勝点を決めた。
さらに直後のPKのピンチでは、GK小久保怜央ブライアン(ベンフィカ)が右に飛んで相手のシュートをブロック。見事に1-0で逃げ切って2016年以来となる2度目のアジア杯制覇を達成した。
前回の東京五輪(21年)は3位決定戦でメキシコに敗れて4位に甘んじただけに、大岩剛監督の目標は、メダル獲得ということになる。
この状況は振り返ってみるに、16年のU23アジア杯を制した手倉森誠監督が采配をふるった五輪代表とよく似ている――。
その4年前、12年ロンドン五輪で関塚隆監督率いる五輪代表は、1968年メキシコ五輪以来となる準決勝に進みながらも、3位決定戦で敗れてメダルなしの4位に終わった。
その後を受け継いだ手倉森ジャパンは、U23アジア杯で初優勝を収めたことで「同年リオ五輪では待ちに待ったメダルを!」と大いに期待された。
「谷間の世代」などと揶揄されたリオ五輪世代の選手たちだったが、試合を重ねるごとに成長し、FW久保裕也はヤングボーイズ(現FCシンシナティ)、MF南野拓実はザルツルブク(現モナコ)への移籍を果たし、FW浅野拓磨(アーセナル=現ボーフム)も続いた。
ところが、手倉森ジャパンは五輪本大会前に相次ぐ不運に見舞われた。
まず3人のオーバーエイジ(OA)枠である。
リオ五輪のサッカー日程は、8月4日に始まって決勝は21日。ハリルホジッチ監督率いる日本代表は、9月1日から18年W杯ロシア大会のアジア最終予選が控えており、ハリルホジッチ監督はOA枠に日本代表選手の招集を拒否した。五輪代表が決勝まで勝ち残った場合のコンディション悪化を懸念したのだ。
このためOA枠に選ばれたのはDFの塩谷司(広島)と藤春廣輝(G大阪=現FC琉球)、攻撃陣はFW興梠慎三(浦和)の3人となった。
さらにFW陣を牽引していた久保裕の招集に所属先のヤングボーイズが難色を示した。当初は五輪出場に前向きだったが、チームが欧州チャンピオンズリーグ(CL)のプレーオフ出場権を獲得したことで久保裕の五輪出場に待ったをかけたのである。
リオ五輪の初戦と第2戦が行われるブラジル北西部マナウスに滞在し、久保裕の招集を交渉していたJFA(日本サッカー協会)技術委員会の霜田正浩委員長(現松本監督)は、埒が明かないので急きょスイスまで飛んで直談判を行った。
初戦のナイジェリア戦は8月4日。登録選手の入れ替えは2日がリミット。態度の煮え切らないヤングボーイズの返答を待ち続けた挙句、入れ替え期限を過ぎてから拒否された場合、ひとり少ない17人でリオ五輪に臨まなければならない。
結局、久保裕の招集を諦めてバックアップメンバーのFW鈴木武蔵(当時は新潟=現札幌)と入れ替えざるを得なくなった。
問題はこれだけではなかった。
初戦の相手ナイジェリアが、資金難や給料未払いでキャンプ地のアトランタで足止めを食らっていた。果たして彼らはマナウスにやって来るのか――。大事な初戦を前に選手、スタッフのメンタル面への影響も心配された。
最終的に日本の美容整形・美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が、2000万円を寄付するなどしてナイジェリアは試合の3日前に現地入り。 試合は壮絶な点の取り合いとなり、日本は4-5で敗れた。失点はほとんどがミス絡み。堅守速攻型のチームが、ミスから失点しては勝利が遠のく。OA枠のDF塩谷もDF藤春も経験不足が否めなかった。
幸いなことにパリ五輪では、日本代表の森保一監督は全面協力を約束している。
元々、不安のあるCB陣のOA枠候補には、DF板倉滉(ボルシアMG)、DF谷口彰悟(アル・ラヤン)、DF町田浩樹(ユニオン・サンジロワーズ)らの名前が挙がっている。