「足がすくんで…あの瞬間はまるでアニメのようだった」レスリング74キロ級銀 高谷大地が振り返る壮絶死闘
高谷大地(29) 男子レスリング74キロ級銀メダル
フリー、グレコローマンの両スタイル合わせて金4個を含む5個のメダルを獲得した男子レスリング。フリースタイル74キロ級では高谷が、同階級では1996年の太田拓弥以来、28年ぶりのメダルをもたらした。
初戦の2回戦、準々決勝と立て続けにテクニカルスペリオリティー(10点差)勝ちを収めると準決勝では世界1位を真っ向勝負でマットに沈めた。
日本のお家芸のメダル量産を担った高谷を所属先の自衛隊体育学校で直撃した。
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──初出場の五輪を前に手ごたえはありましたか?
「全くありませんでした。難しい階級ですし、日本で74キロ級はテレビの生中継もなかったので、僕にとってはプレッシャーを感じることなく、戦えました。初戦から決勝まで一気に突っ走ったような感じでした」
──米国選手との準決勝では壮絶なポイント(20-12)の取り合いになりました。
「準決勝は一番の勝負どころでした。相手のカイル・ダグラス・デークは、東京大会銅メダルで、世界選手権優勝4度(うち2度は79キロ級)の強敵。尊敬している選手です。過去に負けているので、その反省を生かせるか試す狙いもあったので、いい戦いができました」
──カイル・ダグラスは徹底的に分析しましたか?
「カイル・ダグラスも含めて(世界ランキングの)トップ8まで研究、分析しました。この階級は強豪が揃う激戦区で簡単には勝てず、1勝できるかも分かりませんでした。どんな組み合わせでも勝てるとは限らなかったし、一戦一戦集中して戦うことを心がけました」
──決勝ではウズベキスタンの選手にフォール負けで金メダルを逃しました。
「僕はパリ五輪でメダルを取れるかどうかも分からなかったし、手ぶらで帰ってくると思っていました。選ばれた選手しか出場していないので、まぐれでも起きなければ、自分の実力通りにしかならない。決勝は、対戦相手の勝負運が強かったし、押し切った時に相手の方が上手でした。ただ、負けたというよりも、自分の中ではやり切ったという思いが強かった。五輪の決勝の舞台で戦える選手は限られているので感謝しています」
──五輪を前に心身の不調に苦しんだそうですが。
「今年の3~4月にかけオーバーワークから疲労がピークに達し、動けなくなってしまいました。精神的な疲労が大きかったですね。代表決定後は長い期間、試合から離れていたので、どこまでやったらいいのか、自分でブレーキをかけられず、とにかくやらなければいけないという状況下でやってきたので、そういった面で疲れ切っていました」
──精神的にも追い詰められていたのですか?
「(精神的疲労は)簡単に言えば飽きてしまいました。約半年にわたって同じ日々を過ごし、毎日、同じ時間に起きて、同じものを食べて、練習は工夫してましたが、同じ時間に帰宅して就寝するという繰り返しで新鮮味がなかったのです。ルーティンが少しでも崩れると、ストレスを感じたり、そういった積み重ねが一気に爆発しました」
──体が動かなくなり、不安はありませんでしたか?
「実は試合前になると、いつもあることなんです。コーチやトレーナーからは『(浮き沈みは)五輪本番前の準備運動だよ』と言われていました。僕は自分自身に期待してなかったですし、周囲からも期待されていなかったと思うので、僕の中では勝敗よりも大事なものを見つけられればいいなと思っていました。スポーツの意義だったり、自分が歩んできた道のりはどういったものだったのかとか、自分の哲学を探したかったのです。自信もなければ、勝ちたいというよりも、練習通りに戦うにはどうすればいいかを考えてやっていました」