「足がすくんで…あの瞬間はまるでアニメのようだった」レスリング74キロ級銀 高谷大地が振り返る壮絶死闘
──本番は理想的な戦いができましたか?
「実際に戦ってみて、この1年でこんなに伸びるんだと実感しました。これまで課題だった力負けすることもなく、対等に戦えた。あの大舞台で、緊張感を持って戦えたのは良かったし、それ以上に得たものが多かった」
──新たな発見があったのですか?
「生の声援は素晴らしかったです。米国選手とやった準決勝は当初、会場が揺れるぐらい相手への声援が多くて萎縮してしまいました。会場が揺れるほどだったので足がすくんでしまって、普段は取られない技でポイントを取られたり、今までは反応していたのに足が動かなかった。あの試合のあの瞬間だけはアニメのようでした。ここまで会場の雰囲気にのまれるのかと思いましたね」
──試合会場は完全アウェーだった?
「試合途中から、日本語で『頑張れ』という声が聞こえてきて、声援の後押しを受けて足が前に進むようになりました。アニメやドラマのように自分が奮い立つような声援があるんだと気付かされました。序盤から、自分を応援してくれる海外の人もいました。米国の星条旗を持ちながらも僕に声援を送ってくれる人もいたので、国は関係なく、とにかく面白い試合を見せてくれという感じでみんなが応援してくれました。スポーツはアスリートだけがやっているのではなく、会場の人も一緒に戦っていると感じたので、日本のスポーツ、特にレスリングでも応援の文化が根付けばいいですね」
──長い間、兄・惣亮(ロンドン五輪から3大会連続出場)のサポート役を務めてきましたが、プラスになりましたか?
「兄をサポートしているというつもりではなく、好きでやっていました。兄を追いかけながらも、何が必要で何をすべきか、自分で取捨選択できる選択肢をたくさんつくってくれて、(メダル取りを)託されたからこそ、その思いはつながったと思っています。兄とは歩みは違いますが、同じ道をたどったのでゴールが見えていた。兄の存在はプラスでしかなかった」
──兄弟で比べられることもあったのではないですか?
「兄にできて自分ができないとか、兄のようになりたいけど、なれないとか、劣等感を抱くこともありました。ただ、兄に及ばなくても、嫌になったり、関係がギクシャクすることはなかった。2人で成長していったと思っているので、『兄を超えたい』とか『兄ができなかったメダル取り』を目標にしていたわけではなく、兄と一緒にやってきて取ったメダルだと思っています」
──メダリストとして取り組みたいことはありますか?
「レスリングの注目度を高めるため、こちら(選手側)から情報発信していきたいです。あらゆるメディアに常に選手が登場してレスリングについて語っている状況をつくらなければなりません。協会の方にももっと積極的に取り組んで欲しいというのもあります。レスリングについてご理解いただけるよう取り組んでいきたいです。全日本選手権などの国内大会も注目されるように。国内大会は関係者だけでなく、一般の方にも観戦してもらうのが理想です」
──28年ロサンゼルス五輪では金メダルを狙いますか?
「パリまでの4年間は長かったので、まだロサンゼルス五輪を目指すとは明言できませんが、まだ体も動きますし、トレーニングも続けていますので、やめるという選択肢はありません」
(聞き手=近藤浩章/日刊ゲンダイ)
▽高谷大地(たかたに・だいち) 1994年11月22日生まれ。京都府出身。169センチ、74キロ。網野高校(京都)3年時にインターハイのフリースタイル66キロ級で優勝。拓殖大に進み、1年生で全日本選抜選手権60キロ級を制した。14年世界ジュニア選手権(クロアチア)66キロ級で3位、同年の世界選手権(ウズベキスタン)7位。23年世界選手権で3位になり、パリ五輪出場を決めた。兄・惣亮(35=現拓大レスリング部監督)は、ロンドン五輪から3大会連続出場し、14年世界選手権74キロ級銀メダル。