1年生IOC委員が示す五輪ビジネスモデルの限界…パナソニック、トヨタなど日本企業も続々撤退へ
【第2回】商業化とマーケティング
昨年9月、国際オリンピック委員会(IOC)と最高位スポンサー契約を結んでいたパナソニックが、その契約を更新しないと発表した。1987年から37年間にわたって続いていた関係に終止符が打たれると、トヨタ、ブリヂストンも相次いで撤退を表明。85年からスタートしたオリンピックパートナープログラム(TOP)に参加し、大会に貢献してきた最も心強い企業のサヨナラである。五輪マーケティングのあり方への警鐘と捉えるべきだろう。
五輪の商業化が始まったのは84年ロス五輪からである。公的資金に頼らず、スポーツが生み出す資金で運営して約500億円の黒字を出した。この成功からサマランチ第7代会長が五輪マーケティングを創設。神聖不可侵であったオリンピックシンボル(「五輪」)の商業利用を許し、一業種一社の原則で企業から協賛金を得るビジネスモデルが奏功し、「五輪」は打ち出の小づちとなった。TOP初期の収益は1億ドルに満たなかったが、直近の北京冬季五輪とパリ五輪の収益は放映権も含め76億ドル(約1兆1800億円)となった。だが、日本の3社が去った。
新会長にはこのビジネスモデルを根本的に見直すことが求められる。スポーツを通じた世界平和実現の道を共に歩んできたパナソニックが退いた理由を真剣に考えなければいけない。五輪マーケティングはその収益の90%を世界のスポーツ界に配分する。その資金で選手が育成され、スポーツが発展し、オリンピックに還元され、オリンピック運動を支える循環システムだ。世界平和実現には、スポーツ内だけでの循環を打ち破る必要がある。