僕に激昂した闘将・星野監督はトレーナー室のドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきて…
「足痛いのに、あんな無理せんでええのにな。あいつ、ああいうところがあんねん」
こういう小さな記事でも、うれしかったし、守られている気がした。
試合で活躍をすると、監督室に呼ばれ、「よくやった」と時計をポンとプレゼントされることがあった。まだ有名になる前の「ウブロ」の物で、1個100万円相当と聞いた。もちろん、他の選手にもポンポン渡していた。選手なんて単純なものである。僕はウブロを2個もらい、明日への活力にした。やはり人心掌握術に長けた監督だった。
この年、阪神は18年ぶりのリーグ優勝を果たすことになる。僕自身も1番打者として打率.340で首位打者を獲得。それまでは最下位が当たり前の弱小軍団。僕はどこかでプロ野球選手じゃないという感覚があった。それが、この年は優勝ができてタイトルも取れた。オーストラリアへ優勝旅行に行けたし、年俸は最初の目標でもあった1億円を超えた。「やればできる」と自信を持てた。同時にもっと成績を残したいという向上心も芽生えた。
翌04年は打率.306、28本塁打、83打点。プレーしていて楽しいシーズンだったが、チームは首位から13.5ゲーム差の4位。優勝できなかったという悔しさが残った。今まで最下位が当たり前だったのに、星野監督のおかげで意識が変わったのだ。