「酒と戦後派」埴谷雄高著
埴谷雄高といえば、昭和40年から50年代にかけての学生や若者にとっては吉本隆明とともに思想、文学界のカリスマ的存在だった。
本棚に埴谷の著作物、たとえば未来社からの「濠渠と風車」「振子と坩堝」などといった難解なタイトルの本が一冊でも並んでいないと肩身の狭い思いがしたものである。まともに読めもしなかったのに。
その埴谷の“人物随想集”と副題された本書「酒と戦後派」。当然、酒友や酒席を共にした作家のエピソードがたくさん出てくる。
たとえば、三島由紀夫が近くに座っての酒の席での話。
「――俺は血が見たくて仕方がないんだ。本当だぜ」と、いたずらっこのような顔をして言ったのが引き金になったのか、その酒の席は荒れはじめたという。
なんか怖いなぁ。
また、こんな記述も。「椎名麟三と梅崎春生、という新宿マーケット街における2人組酔っぱらい」に野間宏と埴谷、それに全身小説家の井上光晴が加わったというのだから強力である。
それにしても、この戦後派の作家、文士の酒の飲みっぷりは、どこか凄まじく、たとえば石川淳のように酔えば必ず相手に「馬鹿野郎」と怒鳴りつける輩がいるかと思えば、それをこらしめようと動き出す猛者もいる。
どの日本酒がうまいだの、焼酎は芋か麦か米? といったことも、まったく関係ない。文学や思想を熱く胸に抱く人間が集まり、アルコールを痛飲して心を癒やし、また鼓舞する。歯に衣着せぬ作品批評、あるいは相手の人格の全否定!
今日なら、仮に呼ばれたとしても敬遠したいタフな飲み会である。
そういえば、30年以上前になるが、ぼくは深夜の新宿2丁目で、先の井上光晴と埴谷が飲んでいる店に居合わせたことがある。なにか2つの黒々とした影のような物体がうずくまっていた。(講談社 1700円+税)