「観察する男」想田和弘氏
根っこにあったテレビの制作に対する違和感が“観察映画”作りのエネルギー
テーマや被写体に関するリサーチや打ち合わせをせず、台本やナレーション、説明テロップやBGMなども使わない。予定調和を求めず、ただひたすら対象を観察して撮影してドキュメンタリーを作る。それが著者・想田和弘の「観察映画」だ。
本書は、著者が1本の映画を製作する過程で、感じたり考えたことをインタビューし、時系列に記録。「ドキュメンタリー映画のドキュメンタリー本」という珍しい形だ。
「本の企画は、ある程度の青写真がないと通らないですよね、普通は。でもこれは映画を撮るかどうかもわからない段階で『新作を作る過程を本にしたい』と言われて、びっくりしましたよ。僕も常に見切り発車で映画を作っているので、思いは同じかなと。こんな暗中模索の話に付き合ってくれませんからね、まともな人は(笑い)」
観察映画「牡蠣工場」の撮影前から、インタビューは始まった。舞台は、岡山県瀬戸内市牛窓。過疎化の進んだ海辺の町だ。カメラを回した17日間の人々との会話や関係性、編集作業が進まないときの心境など、著者の真摯な姿勢と心の逡巡が文章を通して伝わってくる。
なぜ、観察映画にこだわるのか。いわゆるテレビのドキュメンタリー番組には綿密な台本があり、懇切丁寧に説明し、音楽で盛り上げる演出がある。そこに違和感を覚えたのが原点だったという。
「テレビの仕事で疲弊し、絶望したのは貴重な体験でした。テレビの制作に対する違和感が根っこにあって、ある種の反動として自分のドキュメンタリーを作ろうとしたから、今がある。だから原点は負のエネルギーです」
作り手の思い通りにならないのがドキュメンタリーの醍醐味であることを常に忘れない。その矜持があるからこそ視点が曇らずに現実を映し出す。中盤では著者の軸となる背景も見えてくる。
「子供の頃から世の中や大人に対して反発心のようなものを抱いていました。調和的に生きてきた感じがしない。もともと怒りっぽいので、怒りで身を焦がさないためにも『観察する』手法にたどりつきました」
観察する男が、本書では観察される立場になっているところも面白い。
「恥ずかしいところもあります。どんな映画になるか自分でもわからないまま話しているので、矛盾も多い。でも、整合性がないまま形にしておくのも面白いですよね」(ミシマ社 1800円+税)
▽そうだ・かずひろ 1970年、栃木県生まれ。映画作家。東京大学文学部卒業後、渡米。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ(美術大学)映画学科を卒業し、ドキュメンタリー番組の制作会社に勤務。NHKの番組制作も手掛けた後、退職。以降、インディペンデントで映画を撮影。「牡蠣工場」は全国で順次公開中。www.kaki-kouba.com