パレスチナの“壁”の中の戦時下の日常「オマールの壁」
20世紀後半以来の世界の現代史上で最も悪名高いふたつの「壁」。ひとつは長く東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」。もうひとつがヨルダン川西岸にイスラエルが勝手に建てた「パレスチナの壁」だ。現在都内公開中の「オマールの壁」は、パレスチナ人の生活空間を恣意的に分断するこの壁をモチーフにした話題のパレスチナ映画だ。
オマールは自治区に住むパン職人のパレスチナ人青年。「壁」の向こうにいる活動家の友人タリクに会いに、毎日のように危険を冒して壁を乗り越える。しかし実は本当の目的はタリクの妹ナディアに会うこと。パレスチナの若者のみんなが政治化しているわけではない。オマールもまた、恋する相手と結ばれることだけ夢見る平凡な男子なのだ。
しかし、成り行きで彼はイスラエルの公安警察に見込まれ、抵抗組織の内通者にされそうになるが、むしろ本当に映画を突き動かしているのは“戦時下の日常”の感触だろう。
空襲におびえる戦時の日本人たちがそうだったように、パレスチナ自治区の人々は、現代の政治が強いる事実上の戦時下の暮らしに押しひしがれつつ、自分の心に重たい枷を課している。それをこの映画は、今や世界標準のものとなった娯楽映画の文法で描くのである。
「壁」がもたらす抑圧と心の枷については著名なフランス史家ロバート・ダーントンの「壁の上の最後のダンス」(河出書房新社 3107円+税)が暗示的。ベルリンの壁が崩壊する年に在外研究でベルリンに居合わせたダーントンの、珍しい同時進行ルポである。〈生井英考〉