「漱石の愛した絵はがき」中島国彦・長島裕子編
昨年末、没後100年を迎えた文豪・夏目漱石は、「人に手紙を書く事と人から手紙をもらふ事が大すきである」と自ら記すほどの手紙好きだった。受け取った手紙は、引っ越しのたびに焼却してしまったらしいが、絵はがきだけは別格で、死後、数百枚が見つかっている。
本書は普段は目にする機会がない、その漱石宛てに届いた絵はがきを紹介するビジュアルブック。
まずは、漱石のデビュー作にして代表作のひとつ、「吾輩は猫である」への反響を認めた絵はがきが取り上げられる。
明治29年に五高に転出した漱石と入れ違いに愛媛県尋常中学校に赴任して教職に就いた内田雄太郎が「上編」の刊行後に漱石に送ったはがきは自筆のイラストで洋装した猫が描かれ、「I am the cat」とだけ添えられている。
また、秋田滞在中に新聞で作品のモデルになった夏目家の初代の猫の訃報を読み、観光はがきで急ぎ、お悔やみを伝える弟子の坂元雪鳥からのはがきもある。
長く教壇に立っていた漱石には教え子も多く、彼らから届いたはがきも多数ある。
そのひとり、阿部次郎から送られたものは、絵はがきではなく刊行されたばかりの「こころ」の感想が一面に細かな字でびっしりとつづられている。
後に自身も物理学者として名を馳せる五高の教え子・寺田寅彦は、漱石からチケットを譲られて前日に見た能「景清」の舞台のスケッチを描いた謝礼のはがきを送っている。寺田は、ヨーロッパに滞在した折にも、各国の街の様子などを伝えるはがきをこまめに日本の漱石宛てに書いている。
編者の長島氏は「漱石のもとに届いた絵はがきは、漱石をとりまく人々によって構成された一つの小宇宙になっている。漱石はこのような人々に遠く近くに囲まれて過ごしていたのだということが、ひと目でわかる」と前書きに記す。
明治43年、胃潰瘍と診断された漱石は転地療養のため修善寺に向かう。同地を療養先に勧める松山時代の教え子・松根東洋城のはがきや、同じく教え子の小宮豊隆が送った病床の漱石を見舞う美しいグラジオラスの花が描かれた外国製の絵はがき)など、一枚一枚のはがきに漱石を思う気持ちが詰まっている。
その他にも、同時代を生きた小山内薫や土井晩翠、徳田秋声など著名人や、夏休みを親戚の家や別荘で過ごしている愛娘から、そして愛読者から届いたものまで。漱石の人生のひとコマひとコマが、彼らのはがきのぬくもりからよみがえる。
文豪が終生これらのはがきを手放さなかった理由がちょっとわかるような気がする。(岩波書店 1500円+税)