福島県伊達市の「心の除染」優先の理不尽
実際の放射性物質を取り除くより、被曝を心配する“根拠のない”感情こそ除染すべきだ――このような主張を続けた市長が、こともあろうに福島県にいる。南東部を飯舘村と隣接する、伊達市の仁志田昇司市長だ。
黒川祥子著「『心の除染』という虚構」(集英社インターナショナル 1800円+税)は、原発事故直後から被害が降り注いだ伊達市で起きてきた、あまりにも理不尽な行政の対応を克明につづった渾身のルポである。
伊達市には、原発事故が抱えるさまざまな問題の縮図がある。その鍵を握るのが、伊達市小国集落に適用された、「特定避難勧奨地点」という、いまだかつてなかった制度だ。「地点」とは世帯・家のことで、年間積算線量が20ミリシーベルトを超える「地点」にのみ、「特定」に「避難」を「勧奨」するというもの。勧奨であるから、避難には強制力もない。「地点」には、簡単には認定されないカラクリもあった。モニタリング調査実施概要には、「地点を選ぶ際は、くぼみ、建造物の近く、樹木の下や近く、建造物の雨だれの跡・側溝・水たまり、石塀近くの地点での測定はなるべく避ける」という記載がある。
早い話が、住民の運命を左右する根拠となる測定を、“なるべく低い地点を選んで測る”ということだ。それでも「地点」と認められれば、引っ越し費用を含め、各種の補償が受けられた。しかし、「地点」とならなかった世帯は、たとえ両隣の家が「地点」でも、何の補償も受けられなかった。
他にも伊達市は、小国住民を“避難させない”取り組みばかりを行ってきた。いったいなぜなのか。伊達市の西部は福島市と隣接する。小国から福島県庁までは、直線でたったの7キロだ。小国を計画的避難区域にしてしまえば、県庁所在地である福島市に暮らす、膨大な数の住民の避難にまで言及せざるを得なくなる。住民の命や健康より、国や県の事情が優先されたわけだ。
地震大国であり、原発大国の日本。しかし、福島の再来が起きた場合、国は住民を守ってなどくれないことを本書は物語っている。怒りを通り越して、恐怖すら感じてしまう。