スリー・ビルボード
毎年、正月明けの米映画界は、3月初めのアカデミー賞授賞式に向けて年頭から忙しくなる。今回最有力の一本が、来月1日に本邦公開される「スリー・ビルボード」だ。
有力対抗馬と目されるファンタジーものの「シェイプ・オブ・ウォーター」に対して、ぐっと社会派の色濃い作品。その点は昨年の「ムーンライト」と同じだが、大きく違うのは、これが「怒り」の物語であること。
ご多分にもれず過疎に沈むミズーリの片田舎で、朽ち果てた巨大看板を契約するやつれた女。強姦殺人で殺された娘の捜査の遅れに業を煮やし、土地の警察署長を当てこすった意見広告をデカデカと掲載する。波紋を呼ぶ田舎町と嫌がらせにかかる若い警官。困惑する署長は実は不治の病に侵されていた……。
本当は突拍子もない話だが、主演のフランシス・マクドーマンドとウディ・ハレルソンが見事に現実の手ごたえを与える。つまり「ムーンライト」と同様、これも一種の“社会派ファンタジー”なのだ。
注目点は、これがトランプ支持層と重なる下流庶民社会で孤独に闘う母の物語であること。すぐ思い出したのが05年にマスコミが尻込みする中、ただひとりイラク反戦に立ち上がったシンディ・シーハンをめぐるノンフィクション「わたしの息子はなぜイラクで死んだのですか」(大月書店)だが、あいにく版元品切れ。代わりに若手政治学者の木下ちがや著「ポピュリズムと『民意』の政治学」(大月書店 2400円)を挙げたい。
下流庶民の母の怒りこそ、本来の「ポピュリズム」(民衆本位)の原点なのだ。
<生井英考>