情動的な共感が倫理的な判断を誤らせる
「反共感論」ポール・ブルーム著、高橋洋訳
私は共感に反対する。本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ――。
のっけからなんとも過激な言葉が飛び出てくる。共感とは他者の立場に身を置いたり、他者の苦痛を我がことのように感じることであり、そのどこが悪いのか? 事実、「共感力を高めるための○○」「人を動かす共感力」など、共感力は不可欠なコミュニケーション・ツールと考えられている。そうした趨勢に異を唱える著者の真意は? なんとも興味を引かれる。
本書で論じられているのは、我々の道徳的な判断や行動力は、共感の強い力によって形作られるところが多く、そのせいで社会的状況が悪化することがままある、ということだ。たとえば、致命的な病気にかかり、苦痛を緩和するための治療を受ける順番を待つ10歳の少女がどのように感じるかを想像してみるように促され、もしあなたが待機リストの先頭に割り込ませる権限を持っていたらと尋ねられると、多くの人はその権限を行使すると答える。たとえそのせいで優先されるべき他の子供たちが後回しになったとしても。
ここで重要なのは、人が共感できるのは「全人類」といった広範なものではなく、スポットライトを当てられた局所的な範囲に限られるということだ。自分で直接目にしたり耳にしたことには強い共感を覚えるが、その枠外にあるものには目がいかない。そうした情動的な共感はしばしば倫理的な判断を誤らせ、時に枠外の他者に対して強い敵意をもたらすことがある。
SNSでの「いいね!」などは、まさに仲間内の情動的共感力に支えられたもので、そこに冷静な倫理的判断が入り込む余地はないように思える。共感力礼賛の現在、批判覚悟であえて言挙げた本書から酌むべきことは多い。 <狸>(白揚社 2600円+税)