「自民党本流と保守本流」 田中秀征著/講談社
宮沢喜一のブレーンとして知られ、武村正義らと共に新党さきがけをつくった著者は、「小日本主義」の石橋湛山の孫弟子を自任する。
著者が自民党をとびだしたのは自民党が保守本流ではなくなったからだった。自民党には安倍晋三の祖父の岸信介を元祖とする思想潮流と、湛山を源流とする流れがある。著者は前者を自民党本流とし、後者を保守本流とするが、私は国権派と民権派と名づけたい。戦後史をたどれば、戦争を推進したとして公職追放された人たちが、占領軍の政策転換により1950年から追放を解除される状況が訪れる。この時、岸も復権した。それについて、著者はこう書く。
「石橋湛山の公職追放の不当性が際立っていたこともあり、公職追放された人たちには意外なほど同情が寄せられ、解除された政治家が総じて歓迎される事態となった。その結果、本当に追放されて然るべき人、解除されなくてもよい人が思わぬ恩恵に浴することになったのである」
著者は「保守本流の申し子」として宮沢喜一に2章を割き、「保守本流の再興に挑んだ」政治家として田中角栄にまた2章を割いている。
私は拙著「湛山除名」(岩波現代文庫)で、湛山と著者を重ねるようにして私なりの湛山論を書いたが、宮沢は湛山をとても尊敬しているから宮沢に本を送るように、「朝日新聞」の若宮啓文にすすめられ、贈呈して、宮沢から懇篤な礼状をもらったことがある。
それはともかく、湛山は、宮沢のボスであり宏池会の創設者の池田勇人を重用し、池田は田中角栄をかわいがったという縁がある。その意味では宮沢と角栄は同門なのだが、関係は微妙だった。
しかし、象徴的に言えば、角栄と宏池会(大平正芳ら)が手を結んだ時、保守本流の政治は花開いたのである。
それが「加藤(紘一)の乱」を契機に宏池会が衰退し、いまや、自民党では存在を許されないところまで追いつめられた。そして、保守本流ではない自民党本流の安倍1強政治となっている。
それを憂いつつ、「保守二党ふたたび」と主張する著者のペンは、その現場にいただけに見事なまでに冴えわたっている。私は著者と50年近い交流があるが、そのペンの若々しさに脱帽する。
★★★(選者・佐高信)