「落語―哲学」中村昇著
落語の「芝浜」はこんな話だ。酒にしくじり失敗続きの魚屋が、あるとき大金の入った財布を拾う。これで遊んで暮らせると喜ぶが、女房はそんな夫をいさめるために、財布を拾ったのは夢だったのだと話し、以後魚屋は真面目に働くようになる――。
この話はあらゆるものを徹底して疑ったデカルトが、現実世界もまた夢ではないかと疑ったことと通底するのではないか。あるいは、行き倒れの熊五郎の死体を見た八五郎が、これは熊五郎に違いないと長屋から熊五郎を連れてきて本人だと確認させるという「粗忽長屋」は、「私とは何か」という哲学的命題の良きテキストになる。その他、自分の頭の上にできた池の中に、みずから飛び込んで身投げするという、なんともシュールでパラドキシカルな「あたま山」など、落語には、哲学的な命題をはらんだものが多い。
本書は、哲学者である著者が落語を枕にウィトゲンシュタインから西田幾多郎に至るまで、古今東西の哲学を論じ、落語の奥深さも教えてくれる。
(亜紀書房 1800円+税)