「卵のふわふわ」宇江佐真理著
江戸時代、卵は高価で貴重なものだったが、後期になると卵をとるために鶏が飼育されはじめ、庶民の口にも入るようになり、卵のさまざまな料理法を記した「卵百珍」がベストセラーになったりもした。「秘伝 黄身返し卵」という本書の章題にもなっている、ゆで卵の黄身が外側で白身が内側になるという「黄身返し」も百珍のうちのひとつ。本書には、そんな江戸の暮らしを彩る食べ物を薬味にした時代小説である。
【あらすじ】北町奉行所隠密廻り同心、椙田正一郎の妻のぶは椙田家に嫁いで6年。子を2度身ごもったがいずれも流れ、今は舅の忠右衛門と姑のふでとの4人暮らし。子のないせいか、正一郎は冷たい態度をとり続けている。普段は気のいいふでも跡継ぎができないことについては厳しい言葉を投げつける。
そんな時やさしく助けてくれるのが忠右衛門だ。名うての食い道楽の忠右衛門は、うまい物を食べると覚え帳に書き留めているほど。忠右衛門から黄身返し卵のことを聞いたのぶは興味津々。念願かなって、くだんの卵を手に入れ、殻をむいてみたところ……。
その他、にがりを入れない豆腐に甘いくずあんをかけた淡雪豆腐、冷や飯に青菜と味噌を小鍋仕立てにした水雑炊、煮立てたすまし汁の中に卵を落とし込む卵のふわふわ等々、偏食ののぶを気遣って忠右衛門はあれこれと覚え帳から料理を引き出してくる。その思いやりをありがたく受け止めるのぶだが、正一郎との距離は遠のくばかり――。
【読みどころ】正一郎に嫌われていると悩むのぶ、素直に思いを表せない武骨な正一郎。若夫婦を心配しながらも温かく見守るふでと忠右衛門。四人四様の家族が織りなす人間模様が見事に描かれ、江戸情緒の世界へといざなってくれる。 <石>
(講談社 600円+税)