「胎児のはなし」最相葉月、増﨑英明著
夢野久作の「ドグラ・マグラ」といえば、日本のミステリー史上、いや、近代文学史上において、類を見ない奇書として孤高の光を放っている。その中に「胎児の夢」という言葉が出てくる。胎児は母の胎内で生物の進化という遠大なストーリーの夢を見るというものだ。それが頭にこびりついていて、三木成夫の「胎児の世界」(1983年)が出たときに飛びついた覚えがある。それから35年余り。その間に超音波診断によって実際に生きている胎児の姿を見ることができるようになった。
本書は、日本の胎児医療の第一線を歩んできた増﨑を相手に、生命科学の現場を取材してきた最相が質問を繰り出し、胎児の世界という未知なる領域に光を当てたもの。
とにかく、驚くような事実が次々に出てくる。羊水に満たされた子宮という閉鎖空間で暮らす胎児は肺呼吸ではなく、鼻から羊水を吸ってそれをまた鼻から出す。その中には自分で出したおしっこも含まれている。そして出産時、産道を通る間に肺の中の水を絞り出し、外気に触れた瞬間肺呼吸に切り替わる。肺に一気に空気が入ったところで「おぎゃー」という産声になる。
また胎児は一日のほとんどを夢を見て過ごすという。まさに「胎児の夢」だ。さらに母体には胎児のDNAが入り込んでいるから、DNAの片割れである父親のDNAが母親の中にあるわけで、生物学的に母、父、子の3者がつながっていることになる。これも驚き。
といった具合に、文字通り目からうろこが落ちるエピソードがたっぷり。妊娠・出産の細かなプロセスから、出生前診断、男女の産み分け、不妊治療といった問題もわかりやすく解説してくれる。人類の未知の領域は宇宙と深海だといわれるが、胎児の世界もまだまだ大きな謎に包まれている。 <狸>
(ミシマ社 1900円+税)