「大分断」エマニュエル・トッド著/大野舞訳/PHP新書
コロナ禍で世界は大きく変わるという主張をする有識者が多い中でフランスの人口学者で歴史学者のエマニュエル・トッド氏は全く別の見方を示し、<コロナ以後(ポスト・コロナ)について、私は「何も変わらないが、物事は加速し、悪化する」という考えです>と強調する。
悪化は具体的に2つの形で表れる。第1が国家機能(特に行政権)が強化され、民主主義が形骸化する形でだ。第2が大学以上の教育を受けた人々とそうでない人々の格差が一層拡大する形だ。その結果、フランス、イギリス、アメリカでは暴力的な階級闘争に発展する可能性が排除されなくなる。
民主主義は文化(特に家族形態)との結びつきによって、「フランス・イギリス・アメリカ型」「ドイツ・日本型」「ロシア型」の3種類に分かれているが、その差異がますます強まるとトッド氏は考える。
<日本の十二世紀から十九世紀の間に発展した家族の形というのは、直系家族構造で、そこでは長男が父を継いでいきます。ここで生まれた基本的な価値観は、自由と平等ではなく、権威の原理と不平等です。両親の代がその下を監視するという意味での権威主義と、子供がみな平等に相続を受けるわけではないという点から生まれた不平等です。つまり、日本の識字率がある程度のレベルまでいった時点で明らかになった価値観が、権威の原理と不平等だったのです。だから、軍国主義のように権威主義に基づいた形がとられた時期もありました。それはドイツを思い起こさせます>
国民の行動に対する規制を日本では、罰則を伴う法律ではなく、自粛要請によって行う。それで立法措置とほぼ同じ効果が期待できるのは、直系家族構造によって培われた権威主義が日本国民の集合的無意識になっているからだ。戦前・戦中の大政翼賛会は、この集合的無意識が形になったものだ。翼賛とは、自発的に天子(皇帝や天皇)を国民が支持し、行動することだ。翼賛は強制でないというのが建前だが、社会の同調圧力によって事実上の強制力を持つ。東日本大震災のときは絆とボランティア、コロナ禍では自粛という形で翼賛思想が反復している。 ★★★(選者・佐藤優)
(2020年7月29日脱稿)