「大衆の反逆」オルテガ・イ・ガセット著/佐々木孝 訳/岩波文庫
大衆社会においては、自分がよく知らない分野について発言しても構わないという雰囲気が醸成される。
コロナ禍で感染症の専門家と称する人たちが、食事をするときは、並んで黙って食べろというような「新しい日常」なる生活様式を押しつけようとする。食事は、栄養を摂取することだけが目的ではない。友だちと話を楽しみながらリラックスする重要な時間だ。それを養鶏場の鶏のように飯を食えというのは、越権行為だ。政府が「新しい日常」を国民に推奨したいならば感染症の専門家だけでなく、経済学や心理学、さらに文化人類学の専門官などからも意見を徴した上で、政治的に総合的な判断をするのが筋だ。
もっともスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)によると、専門家であっても、自らの守備範囲を超えた問題については大衆の一人に過ぎない。この現実を冷静に認識することが重要だ。
<現代の特徴は、伝統を持つ選ばれし少数者集団の中においてさえ、大衆や俗物が優勢になっていることにある。本質的に特殊な能力が要求され、それを前提に成立している知的分野の中にさえ、資格のない、あるいは与えようのない、その人の精神構造から判断して失格者の烙印を押すしかないような似非知識人が、日ごとに勝利を収めているのが現実なのだ>
オルテガの偉大さは、自分自身も大衆の一人であることを自覚していたことだ。感染症の専門家としては一級の知識人であっても、それ以外の事柄については素人だ。大衆の一員であることを自覚している人は、余計なことを言わない。しかし、コロナ禍で不安が高まった国民は、具体的な答えを求める。その結果、森羅万象について語ることが出来ると考える似非知識人が跋扈することになる。思考を放棄する態度が、テレビのワイドショーとSNSによって加速している。権威がありそうな人の発言に付和雷同する傾向が強まっている。こういう状況はファシズムにつながりかねないので危険だ。どんなことについても、納得できないことについては自分の頭で考える習慣をつけることが重要だ。★★★(選者・佐藤優)