「古写真で見る幕末の城」三浦正幸監修、來本雅之編著
昨年、火災によって首里城が焼失した時に感じた喪失感、一方で木造による名古屋城の再建計画に募る期待感など、IT全盛の時代になっても、城は日本人にとって歴史のロマンを感じさせてくれる特別な存在であるようだ。
信長が生み出し、秀吉が広げ、家康が定着させた近世城郭は、およそ400城ほど築かれたというが、明治維新を迎えられたのは179城(諸説あり)だけだった。その中でも、天守や櫓などの本格的な城郭建築が残っていたのはわずかに43城。
さらに明治初期の廃城によって生き延びた天守は24基、その後も老朽化による取り壊しや戦災などによってその数は減り続け、現存天守はご存じのようにわずか13基(現存12天守と笠間城天守の1階部分)だけになってしまった。
本書は、米国のメトロポリタン美術館をはじめとする国内外の博物館・美術館、大学の研究室や各地の文化財課が所蔵する新発見の古写真を含む980点もの古写真で、各地の城の在りし日の姿を紹介するビジュアルブックだ。
現在は公園に整備されている北海道函館市の「五稜郭」は、日米和親条約で箱館の開港が決まり、海防のために安政4(1857)年に西洋式の稜堡式城塞として建造が始まり、元治元(1864)年に完成した。明治元(1868)年、旧幕府軍が立てこもり、箱館戦争の舞台となったことで知られる。
明治初期に撮影された写真には、星形平面の稜堡のほぼ中央にあった五稜郭の中心的な建物で、7年間しか存在しなかった「五稜郭箱館奉行所」の雄姿が写っている。大屋根の中央に楼閣が設けられたその建築様式は、幕末の江戸城・大名屋敷や、慶応3年完成の前橋城本丸御殿の玄関上にも見られる。
また、写真からは入り母屋造りの玄関部分が冬季には雪囲いされていたことなどもわかる。こうした古写真や古図面などの調査をもとに、平成22(2010)年には、奉行所の建物の約3分の1が元の場所に復元された。
以後、明治7(1874)年に解体される直前の「盛岡城本丸」をはじめ、かつては国宝に指定されていたが戦災で焼失した「仙台城大手門」、明智光秀が丹波制圧の拠点として天正7(1579)年に築城し、光秀の滅亡後は豊臣有力武将が歴封し、天下普請の大改修で藤堂高虎によって五重五階の大天守が築かれた「丹波亀山城」、そして戦争で灰燼に帰す前のオリジナルの「首里城」まで、北から南まで136城を網羅。
圧巻はやはり、江戸城や名古屋城、大坂城などの名だたる城で、残されている写真も多い。
慶応年間や明治初期に写されたこれらの写真には、刀を差した武士らしき人物や、人力車、牛車をひく農夫、さらに天秤棒を担いだ行商人らしき人々も数多く写り込み、時代劇や時代小説の世界そのものだ。
在りし日の城に会いにタイムトラベルできる城ファン必携本。
(山川出版社 1800円+税)