「利休を超える戦国の茶人 織田有楽斎」岳真也著
織田源吾長益(有楽斎)は信長の13歳年下の異母弟で、信長が「うつけ」と呼ばれたのに対して、戦を好まぬ有楽斎は「へたれ」と呼ばれた。信長の守り役、平手政秀に可愛がられ、歌や古典、茶の湯の手ほどきを受ける。
本能寺の変が伝えられたとき、有楽斎は信長の嫡男、信忠と二条御所に立てこもって戦った。追い詰められ、切腹しようとしたが、信忠に頼まれ、彼の嫡男の三法師を守るため落ち延びる。
だが、関ケ原の合戦では三法師方につかず、徳川方についた。合戦後、二千石から三万石に加増され、家康の茶頭を務めて「茶の湯太閤」と呼ばれた。
戦乱の世に、「武」ではなく、「遊芸」の茶の湯にいそしんで「有楽流」を創始した茶人を描く。
(大法輪閣 1900円+税)