「私がフェミニズムを知らなかった頃」小林エリコ著
「私は世の中が男女平等だと1ミリも疑っていなかった。しかし、それは全て間違いであり、それに気がつくのに私はとても時間がかかった。男女が平等でないと教えてくれたのはフェミニズムだった。……男女は平等でないというパラダイムシフトは私の中の壁を瓦解させた」
本書は、そう語る著者がフェミニズムの視点から自らの生い立ちをたどり直したもの。
1977年生まれの著者は、父は王様、母と娘は従順な家来という典型的な亭主関白の家庭で育ち、小学校時代に3つ上の兄から性的いたずらを受けていた。中学になるとクラスのいじめに遭うようになり、数学の教師の自宅では胸を触られるという屈辱に甘んじながら不得意な数学を教わる。
高校生になってからは、帰り道に露出狂の男に追いかけられ、短大時代にはしょっちゅう痴漢に遭い、あるとき思いきって警察に駆け込むと、男性警官から「ふーん、ここいら辺はよく痴漢が出るんだよ」という気のない返事を受ける。思わず著者は心の中で叫ぶ。「この国の男たちは狂っているのかもしれない」と。
社会人になってからも苦難は続く。就職氷河期の中、ようやくエロ漫画雑誌の編集の仕事を得て、体目当ての男とのだらだらした関係を続けていくが、徐々に精神に変調を来し、自殺を図り退職。デイケア施設で知り合った男性と付き合うようになるが、これもまた自分勝手で女が尽くすのを当たり前と思っているような男だった。
その後、紆余(うよ)曲折あって、生活保護を受けることになったが、社会のどこにも属さないことに大きな恐怖を覚え、精神病院へ入院。退院後に出合ったのが、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」という本だった。この本を読んで気づく。「今まで自分が歩んできた人生の苦労や不幸が全て『女である』ということに凝縮されているのだ」と。
不当なことを不当と言い、間違っていることを間違っていると言う。これまで女性から奪われていた権利を高らかに掲げる著者の声が真っすぐに飛び込んでくる。 <狸>
(晶文社 1650円)