「言いなりにならない江戸の百姓たち」渡辺尚志著
江戸時代の百姓というと、「無学で読み書きができなかった。村は閉鎖的な社会で、村人は村外のよそ者とは付き合わなかった。武士に対しては服従するだけの無力な存在だった。江戸時代の農業は自給自足的だった」といったイメージが強い。ここでいう百姓は農民のことだけを指すのではなく、漁業、林業、商工業に携わる人たちの身分の総称である。本書は、そうした百姓たち自身が書いた文書を読み解くことで、既成の百姓イメージを見事に覆してくれる。
舞台は、下総国葛飾郡幸谷村(現在の千葉県松戸市幸谷)。戸数はおよそ50戸前後、石高500石(米俵にして1250俵分)余の小さな村で、ここを3人の領主が分割統治していた。
最初に紹介される文書は、名主と村人たちの間で取り交わされた年貢の賦課・徴収に関してである。これまで村人たちが負担・支出してきた金額を記した帳面の内容を見せてほしいと願い出て、計算し直したところ間違いがなかったこと。また自分たちの年貢や負担が滞納していないことを証明してほしいと願い出て、それも確かに受け取ったことが書かれている。つまり、村人と領主の間に立つ名主が不正を行っていなかったことを村人たちが自ら確認したというものだ。
ここからわかるのは、村人たちは読み書きを自在にこなし、計算も自らが行ったことだ。その他、水利の利権や肥料の売買をめぐるトラブルが数多く発生し、その解決においては裁判も辞さないといった農民たちの公正・公平に対する強い気概も見られる。
また、肥料の売買からは幕末近くの時代には、この小さな村にも昔ながらの自給自足を脱して商品経済が深く浸透していることが見て取れる。さらに驚かされるのは、同村に派遣されていた役人が不正を行っており、その役人の罷免を百姓たちが領主に訴え、領主がそれを認めていることだ。
ここから浮かび上がるのは、苦難にじっと耐え忍ぶ物言わぬ百姓ではなく、自己主張を堂々と掲げる、たくましい百姓たちの姿である。 <狸>
(文学通信 1650円)