「我が産声を聞きに」白石一文著
新型コロナウイルスが蔓延する2020年9月、名香子は夫・良治から一緒に行ってほしいところがあると言われた。着いたところは都立がんセンター。「肺がん」との診断を受け、帰りに立ち寄ったレストランで、良治はおもむろに名香子に切り出した。
「好きな人が出来たんだ。肺がんは彼女と治療する」「人生をやり直したい」
立ち去っていく良治に渡された連絡先には、北千住の喫茶店と香月雛と女性の名前までが記されていた。名香子は逡巡したがすぐに訪ねはしなかった。若かりし頃、婚約寸前だった富太郎とのことを思い出したからだった。しかし、一人娘の真理恵に諭され、良治を訪ねるが、応対した雛に「今日が手術日」だと教えられ会えずじまい。後日、改めて訪ねる道中で名香子は自動車事故を起こしてしまう……。
コロナ禍の中、ひょんな出来事から夫婦がズレていくさまを描いた家族小説。結婚22年目に突きつけられた「別れ」に呆然としながらも、名香子はかつての「もしもあのとき」を確かめに出掛ける。そこで知った事実は意外なものだった。
自分の選択の結果と思われがちな人生が、不思議な縁で手繰り寄せられていることに改めて気づかされる。出会いも別れも、思わぬ方向に進んでいくリアルさが秀逸だ。 (講談社 1815円)