「ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実」ヤン・マッティ・ドルバウム/モルヴァン・ラルーエ/ベン・ノーブル著 熊谷千寿訳 NHK出版/2021年
ロシアの知識人(インテリゲンチア)は右であれ、左であれ、極端な思考をし、行動する傾向がある。現代におけるその典型が反政権活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏(45歳、現在収監中)だ。
欧米や日本では、ナワリヌイ氏が民主主義的価値観を持ち、国家権力の弾圧に屈しない信念の人というイメージで通っている。本書が優れているのは、基本的にナワリヌイ氏に好意的であるが、同氏がはらんでいる問題点についても率直に指摘していることだ。
例えばナワリヌイ氏が持つ民族的、人種的偏見についてだ。
<ナワリヌイは過去に差別主義的な発言をしている。たとえば、主に中央アジアやコーカサス出身者に対して、人種に関する露骨な固定観念にもとづく言動をぶつけている。それに対しては、西側のウォッチャーの批判を集め、一部で祭り上げられているような民主派のヒーローではないとの警告を受けている。しかし、ナワリヌイは西側の政治家ではない。このテーマを考えるうえでは、ロシアの視点を入れることが重要だ。/たしかに、ナワリヌイの言説はロシア国内でも論争を引き起こしてきた。多くの人権擁護団体も、その理由によりナワリヌイを不安視してきた。ロシア・ナショナリズムの専門家であるアレクサンドル・ヴェルホフスキーは、ナワリヌイは「民族的偏見」を抱いていると語っている。また、ナワリヌイの運動に参加していても、移民に関する立場ではナワリヌイと距離を置く活動家がいることは、すでに紹介した。/しかし、今日の欧米とはちがい、ロシアでは人種差別的な言動をしても、革新政治から除外されることはない>
確かにロシアの国家院(下院)では人種的、民族的偏見を煽り、権力基盤を強化するウラジーミル・ジリノフスキー自民党党首のような政治家でも当選し続けることができる。しかし、このような政治家が大統領になることはない。それはロシアの民衆が人種的、民族的偏見を煽るような政策を取るならば、多民族国家ロシアが内側から崩壊してしまい、生活が大混乱すると認識しているからだ。
現代のロシアでは、ゴルバチョフ政権末期とエリツィン政権を「混乱の90年代」と総括する。ロシア人はプーチン大統領が長期間権力の座にいることを積極的に支持しているのではない。ナワリヌイ氏のような人物に率いられた政治勢力が台頭し、ロシアの政治、経済、社会が混乱することを恐れているのである。ロシア人にとって改革とは混乱を意味し、何も起きないことがいちばん幸せなのである。その意味でナワリヌイ氏のような極端な政権批判が、かえってプーチン大統領の権力基盤を強化している。
★★★(選者・佐藤優)
(2021年11月25日脱稿)