西條奈加(作家)
5月×日 ゴールデンウィーク中、ほぼ3年ぶりに友人と旅行に出た。行先は長野。連休中だけにどこも混んでいて、善光寺や松本城は長い行列ができていた。待つのも行列も苦手だが、未だコロナ過から抜けきれない状況でも、ここまで人出が回復したのだなと感慨深い思いがわいた。
この旅行中、行き帰りの電車の中で読んでいたのが、遠田潤子著「人でなしの櫻」(講談社 1760円)である。
遠田さんとは関わりがあり、ともに「日本ファンタジーノベル大賞」でデビューした。この賞の面白いところは、ジャンルのまったく違う作品が、玩具箱のように雑多に混在していることだ。遠田さんと私も、ジャンル・作品傾向ともにかけ離れているのだが、違うからこそ魅力を感じる。
緻密な描写によって人間の深層心理を炙り出す手法は、彫刻家を思わせる。ひたむきで丹念で、正確な鑿の跡のように、一字一句がぴんと張り詰めている。人間を骨の髄まで描こうとすると、否応なく自分と向き合う羽目になる。後悔や苦い経験や情けない思いが無意識から湧いてきて、非常に精神を削られる。そこをごまかすことなく立ち向かおうとする気概が、作品から読みとれる。この真摯な姿勢には、素直に頭が下がる。
本作の「人でなしの櫻」にも、その力量が遺憾なく発揮されている。
少女を誘拐し、11年ものあいだ軟禁していた父親。父の死後、その事実を知らされた息子もまた、被害者少女に執着し、憎むべき父親の呪縛から逃れられずに苦悶する。
誰もが眉を潜める事件が軸であるだけに、同じ少女に執着する親子は、まさにタイトルどおり「人でなし」と言える。
しかし終章に至って見方が変わった。「哀れな被害者」であった少女は、自らの意思を確立する。人並な幸せとは形の違う、彼女にしかできない羽化を遂げるのだ。
これは彼女を救う物語であり、人欲を越えた場所に立つ彼女こそが、「人でなし」ではなかろうか。そう考えるのは、穿ち過ぎであろうか。