新井見枝香(書店員・エッセイスト・ストリッパー)
4月×日 2週間ほど前に受けたリンパマッサージによる内出血がようやく消えた。踊り子の先輩から、池袋北口の中国系エステサロンを勧められたのだ。中国人の先生は「小顔に…」という私の控えめな希望を聞き流し、紙パンツ1枚の体に点在する謎のコリコリを探り出しては執拗に擦った。終わらない痛みに意識を手放そうかと思う頃、手渡された手鏡に映る我が丸顔は、見たこともないほど小さな丸顔だったが、全身アザだらけのままステージに立ったら、観客はどん引きであろう。
5月頭から10日間は踊り子の仕事だ。そのために、ヘアサロンとまつげサロンには行った。人に触られることが嫌いな私にとっては、ただの苦行である。本当はネイルサロンにも行くべきなのだろうが、10本の爪を飾り立てるくらいの時間をかけて、私は早見和真著「八月の母」(KADOKAWA 1980円)を読み耽った。紙に脂を奪われ常にカサカサの手指に、ニベアのハンドクリームを塗り込む。遠い夏、団地の一室に取り残された「母性」を思いながら。
5月×日 ストリップ劇場の楽屋に持ち込んだ「八月の母」は、一度も開かないままだ。ゴールデンウィーク真っ只中、場内は立ち見も出る満席で、ステージから戻った踊り子たちも忙しない。差し入れの弁当が届き、ようやく空腹を思い出したところで、脳裏に浮かぶのは波のない海だった。
「八月の母」は、愛媛に生まれ、その穏やかな海の向こうを夢見た女たちの物語だ。女という性が彼女たちを徒に苦しめ、かすかに抱いた希望を何度となく打ち砕く。女であるからこそ劇場のステージに立てる私は、彼女たちと地続きの今に生きているのだ。
時に小説というものは、自分のためだけに書かれたわけではないのに、人生とリンクすることがある。7月頭、愛媛の道後温泉にあるストリップ劇場で踊る仕事が入った。「八月の母」で見たあの海を、私は彼女たちと同じ側から、眺めるのだ。