「『ナパーム弾の少女』五〇年の物語」藤えりか著
1972年6月8日、ベトナム南部の農村で、ナパーム弾が炸裂した。その直後の決定的瞬間をとらえた一枚のモノクロ写真が、ベトナム戦争の真実を世界に知らしめることになった。
画面中央、裸で叫びながら必死に逃げている少女は、当時9歳のキム・フック。超高温で服を焼かれ、背中と腕にひどいヤケドを負った少女は、この写真を撮ったニック・ウトら報道関係者の必死の努力によって奇跡的に命を取り留めた。
あれから50年。少女はその後、どのように生きたのか。朝日新聞記者がキムとニックをはじめとする当事者に取材したノンフィクション作品。
戦後、共産化したベトナムで、世界的有名人キムは政府のプロパガンダの道具に使われた。ずっと続くヤケドの痛み、自由を奪われた人生。思春期のキムは悩み苦しみ、自分からクリスチャンになった。
政府の指示でキューバ留学したキムは、そこで北ベトナム出身の青年トアンと出会う。キムが29歳のとき、双方の親族を説き伏せてキューバで結婚。ソ連への新婚旅行の帰路、キムはカナダへの亡命を決行する。ベトナム大使館員の厳しい監視の目を盗み、機内で何も知らない夫を必死に説得した。私は自由が欲しい。キューバやベトナムには戻りたくない。キムの決意と行動力は、人生2度目の命がけの逃走を成功に導いた。
寒冷なカナダで、体の不調を抱えながらキムは懸命に生きた。2人の男の子も授かった。ベトナムであの写真を撮ったニックとも再会。一枚の写真は2人の運命を決定的に変えていた。
やがてキムは、自分の体験を語るために世界行脚に出る。キムのスピーチは、思想の違いを超えて聴衆の心をつかんだ。反戦を唱えるのではなく、現実に起きたことを話し、ヤケド痕を見せる。
「そうすれば人は自ずと、戦争は嫌だと思うだろうから」
嫌な戦争は、21世紀の今も所を変えて起きている。キムはこれからも語り続けることだろう。
(講談社 1980円)