「踊る菩薩」小倉孝保著
「おっちゃん、こんなんでよかったらなんぼでも見てや」
股間からしずくがあふれ、照明にキラキラ光る。脚の動きに呼応して、客席の男たちは、右へ左へ、波のようにうねった。そして、観音菩薩を拝むように手を合わせた。
昭和のストリップ全盛期、ロウソクショーと「特出し」で人気を集めた伝説のストリッパー、一条さゆり。本気の迫力と旺盛なサービス精神で、疲れた男たちに生きる元気を与えた。公然わいせつ容疑で逮捕、執行猶予。それでもリスクをおかして舞台に立ち続ける。一条さゆりは、やがて反権力の象徴ともなっていった。
しかし、人気絶頂だった30代半ばで一条は引退を決意。1972年、大阪での引退公演の最中に逮捕された。ストリップのわいせつ性を問う裁判の末、懲役6月の実刑判決を受けて服役。出所して、本名の池田和子に戻った彼女は困窮する。内縁の夫と別れ、安アパートや釜ケ崎のドヤ暮らし。トコロテン売り、家政婦、廃品回収、地下鉄の清掃、アルサロ……。なんでもやった。男の援助で店を持ち、話術と色気で客を集めた時期もある。大酒飲みで、嘘つきで、限りなく優しかった。
公務員を定年退職した堅気の男に見初められ、3度目の結婚をするも破綻し、夫は自殺。アウトローとして生きてきた女が、平凡な主婦に収まれるはずもなかった。
自殺未遂、大やけど、酒の飲み過ぎによる肝硬変。全身ボロボロになった元ストリップの女王のついのすみかは、日雇い労働者の街、釜ケ崎の粗末な部屋だった。1997年、肝不全のため死去。
「芸人の幕の下ろし方としては、一条さんの死にざまは最高やったんとちゃいますか」
生前に親交があった漫才師、中田カウスは語っている。一条さゆりは昭和の男社会を体一つで生き抜き、60年の生涯をかけてその芸を完成させた。激動の時代に一輪のゆりが見事に咲いて、ひっそりと散った。
(講談社 2200円)