「絶望に寄り添う聖書の言葉」小友聡著/ちくま新書
今から20年前、2002年の年末を評者は東京拘置所の独房で過ごしていた。この年の5月、鈴木宗男事件に連座して東京地検特捜部によって逮捕され、勾留されていたからだ。冷暖房のない独房での生活は厳しかった。
評者は「接見等禁止措置」が付されていたので、弁護人以外との面会や手紙のやりとりは家族を含め認められず、新聞・雑誌も購読できなかった。
このときにいちばんの支えになったのが弁護人に差し入れてもらった聖書だった。危機的状況で読むと聖書の言葉が生き生きとしてくる。聖書でなく、仏典や論語でも同じ効果を得られるのだと思う。
小友聡氏は聖書学者(東京神学大学教授)であるとともにプロテスタント教会の牧師だ。聖書の言葉が人間に与える力をよく認識した上でこの本を書いている。新約聖書の「ルカによる福音書」には、神が不正に蓄財した管理人をほめるという不思議な話がある。この話を小友氏は、第2次世界大戦勃発時にリトアニアで外務本省の指示に反してユダヤ人にビザを発給した杉原千畝領事代理の決断の事例に即して読み解く。
<彼がロシア正教のキリスト者であったことも関係しているでしょう。杉原は免職になりますが、戦後、多くのユダヤ人たちから「命の恩人」として慕われ、「偉大な外交官」と称賛されました。/なぜ杉原はあえて不正を犯したのか。それは、当時ユダヤ人が生存の危機に瀕し、まさしく終末的な事態にあったからです。杉原はそこで通常の秩序ではありえない行動をとりました。この行動は、先ほど紹介した聖書の喩え話の実例として説明できるのではないでしょうか。「不正の富で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」という逆説的な表現は、この杉原に当てはまるように思われます。>
現代的に言うと、不正とは命令違反で、組織に属する人があえて命令違反を行うことが、不条理な状況から抜け出すために不可欠ということだ。慶応義塾大学商学部の菊澤研宗氏は「逆らう部下が組織を伸ばす」と指摘するが、それと同じ内容が聖書にも記されているのだ。 ★★★(選者・佐藤優)
(2022年12月2日脱稿)