「晴れときどきライカ」落合陽一著
「晴れときどきライカ」落合陽一著
メディアアーティストの著者は、世界中を旅しながら、「心象風景に重なる瞬間を求めて」スナップ写真を撮り続け、その数は年間10万枚にも及ぶという。
本書は、そうして撮影された写真に、その風景に刺激され重ねられてきた思索の一端を添えたフォトエッセー集。
2019年、体制と民衆が衝突する香港の裏路地を歩きながら、街の生命力の強さを実感。中国語、英語、日本語が入り交じった風景にカメラを向けると、人々のあふれる欲や情念がレンズフレアの中に混ざり込んでレンズが曇ってくるような、そんな香港の街角の風景が好きだという。
次のページでは、パリ・ルーブル美術館の天井の装飾を眺めながら、かつて同じようにこの天井を眺めていた自分がいたことを思い出す。石の持つ陰影を愛する気持ちは当時から変わらない。
「そうやって風景の中に記憶とのリンクを探しながら、パリの街並み」を歩き、石の文化と木の文化の違いについて考えをめぐらす。たどりついた焼け落ちた大聖堂の周りをめぐりながら、石が持つ重厚なテクスチャーと年月の蓄積による濃淡に対する、木の呼吸と穏やかに黒化する表面の生命感に心を震わす。
さらに思いは、かつて子どもを連れて訪れた白神山地へと向かう。自身が20歳の頃にも訪れたことがある白神山地で散歩しながら子どもの背中を眺めていると、確かにそこを歩いていた自分に重なる位置に今、自分の子どもが歩いている。
森に堆積した地層が自然を育む200年弱といわれるブナの倒木サイクルに思いを馳せ、自分も子どももやがて地層になる、生物も文化の地層もサイクルの中で生まれてくることを感じる。
その思考をたどるようにルーブルの天井や白神山地を歩く子どもの背中、白神山地のブナの森、そしてパリの街並みなどの白黒の写真が並ぶ。
またある日は、海中から立ち上がった電柱が整然と並ぶ千葉県木更津市の江川海岸に立ち、どこからこの寂寥感が湧き上がってくるのか考えながら、自分が作品を作り続ける感覚の根源的なところは何かと自問自答。
そうこうするうちに、世の中はコロナ禍に突入。翻弄される中、猫を飼い始め、街中を野良猫のつもりで歩くようになったと明かす。
ほかにも、ウィズコロナのもと平安時代からのサクラの名所・醍醐寺で歴史と時間と風景の関係を見つめ、出雲では出雲大社が受け継いできた歴史の重さと人の情念の蓄積をしめ縄の太さとテクスチャーの中に感じ、ウィズコロナで失われた祝祭について考えて行きついた裸性とヌードなど。
現実の風景を切り取った写真と、深い思索から立ち上がる著者の心象風景が、読者の中で化学融合を起こし始める。
(文藝春秋 5500円)