「戦後総理36人の採点表」小林吉弥著
「戦後総理36人の採点表」小林吉弥著
石橋湛山は早稲田大学卒業後、毎日新聞社、東洋経済新報社を経て、自由党に入党。第1次吉田茂内閣で大蔵大臣を務めた。戦後、公職追放にあったが、解除後、鳩山一郎内閣で通産大臣となる。
自由民主党結成後、初の総裁選挙では、岸信介が1位、湛山が2位だったが、過半数に届かなかったため決選投票に。石橋陣営は3位の石井光次郎陣営と「2、3位連合」を組む。岸陣営は金やポストをエサに切り崩し工作を行ったが、側近らの「ウルトラC」で、7票差で湛山が勝った。
だが、「高潔の士」といわれた湛山は病に倒れ、65日間の超短命内閣で終わる。「日中友好促進」などの政策を推進できなかったため、総理としては採点不能である。
ほかに、太平洋側と日本海側の格差を是正しようとした田中角栄(7点)などを採点する。
(ビジネス社 1980円)