「挿絵画家 風間完」風間研著
「挿絵画家 風間完」風間研著
ページを開くと、まず美人画の口絵が数葉、現れる。知的で、気品があって、内側に強さを秘めた表情がなんとも美しい。美人画で知られる挿絵画家・風間完。その生涯を、長男でフランス文学者の風間研がたどったエッセー風の評伝。
風間完は大正8年、東京の下町、八丁堀で生まれた。子どものころから絵に夢中で、絵描きになりたかったが、家庭の事情で美大には行けず、家具職人を育成する学校で学んだ。卒業後、岩手県の女学校で美術教師となる。翌年、2等兵として北支那に送られ、ひどい凍傷を負って帰国。そのため、左手の小指には爪がない。
戦後、米兵の妻や恋人の写真を見て、絹を張った板に肖像画を描く「絹かすり」で生計を立てた。画家への夢を捨てきれず、新制作派展で風景画を発表し続けた。息子の研は、川べりにイーゼルを立ててカンバスに向かう父の、尋常でない迫力を子供心に感じていた。
やがて縁あって小説の挿絵を描くようになった。当時編集者だった吉行淳之介がよく家にやってきて、父が絵を描いている間、研と遊んでくれた。絵ができると、よく2人で出かけていった。
小説の添え物に終わらない完の挿絵の評判は高まっていく。画家が芸術家なら、挿絵画家は職人。その間で揺れていた完だが、職人として絵に携わろうと決心する。
そして、作家たちが名指しで挿絵を頼んでくるまでになった。遠藤周作、司馬遼太郎、松本清張、瀬戸内寂聴、五木寛之と、名前を挙げたらきりがない。挿絵を描くときは作家との勝負。不動の地位を得てからも努力を続けた。
思い出の中の父を主観的に語るのではなく、友人知人が書き残した文章を多く参照し、時代背景を調べ、距離を置いて書いている。それでも、天才画家と息子の良き関係がにじみ出る。息子に伝記を書いてもらえるとは、父親冥利に尽きるではないか。 (平凡社 2970円)