「隆明だもの」ハルノ宵子著
「隆明だもの」ハルノ宵子著
12年前の3月16日、戦後日本思想界に大きな影響を与えた思想家の吉本隆明が亡くなった。2年後の2014年から全38巻別巻1という長大な全集の刊行が始まった(既刊34冊、刊行中)。本書は吉本の長女でエッセイスト・漫画家の著者が同全集の月報に父(と家族)のことを書いた文章をまとめたもの。
父とはいっても、相手はあの吉本隆明。全集の主たる読者で父を信奉する「団塊以上のオジさまたち」は、異様なほどの幻想と信頼を寄せている。だから「父だってボケていた」といえば、「あれだけの頭脳と知識を持ち、最期まで常に思考を重ねていた吉本さんが、ボケるわけないだろう!」との反論がくること必至。
そんな声をはねのけて、晩年の吉本の姿を飾らずに描いている。家を出ようとしたが出口が見つからずふすまや障子に穴を開けたり、テレビを見ていて「テレビのニュースで、村上春樹はオレの悪口言ってやがった」と口走ったり……。
両親の確執ぶりも明かされる。ある対談本の内容に母が激怒、離婚寸前までいったが、父は丸坊主になりダイヤモンドのペンダントをプレゼント。その後2人で2階の窓からヘールボップ彗星を一緒に眺めて母の感情が動き出した。それを見て娘は思う。
「太陽と彗星のように、ものすごいエネルギー値で反発し合い、引かれ合う。そのエネルギーの大きさが釣り合うのは、お互いこの2人以外になかったのだろう」
付録として妹の吉本ばななとの対談が収録されている。その中で姉妹は口を揃えて「(父が)書いていることと実際やっていることが違っていることはなかった」と言う。文芸評論家の平野謙は「女房的肉眼」という言葉で、どんなに緻密で壮大な理論も女房のリアルな目からすれば往々にしてその理論が崩れてしまうと揶揄した。しかし、娘的肉眼にさらされても揺るがない思想はさすが。なんたって、隆明だもの。 〈狸〉
(晶文社 1870円)