「求道の越境者・河口慧海」根深誠著
「求道の越境者・河口慧海」根深誠著
河口慧海は仏道修行のためにチベットを単身行脚した日本の禅僧である。1900(明治33)年、ネパール西北部からヒマラヤ山中にある国境を越えてチベットに入り、チベット仏教の聖都ラサを目指した。当時、チベットもネパールも鎖国状態にあったため、現地人を装って潜入するしかない。人生をかけた旅だった。
国境地帯にはいくつかの峠がある。慧海が越えた峠はどこなのか。ヒマラヤを憧憬する著者は、自分の足で慧海の足跡をたどり、この謎の解明に挑んだ。1992年の初踏査以来、30年に及んだ長い冒険行を記録した壮大なノンフィクション。
慧海の著作「西蔵旅行記」にも、後に親族によって発見された日記にも、峠の名前は明記されていない。慧海の記述と符合する場所、例えば途中で立ち寄った寺、峠からの眺め、国境の向こうに見える湖の形などを手がかりに高地を歩き、あるときは馬に揺られた。
茶褐色の大地、波打つ山並み、ヤクが草をはむ放牧地。深い青空。降るような星。近代社会から遠く離れて、慧海さながらの旅が続く。信心深いチベット系住人の親切が身にしみた。
慧海が通ったと推察できる峠は3つある。西からクン・ラ、ゴップカル・ラ、マンゲン・ラ。ラとは峠のこと。そのすべてを踏査し、「ここだ」と確信を得たとき、著者は70歳を過ぎていた。
慧海が国境を越えてから120年。ヒマラヤという自然の要塞に隔てられていても、国境地帯は不穏だ。1959年、共産中国によるチベット侵攻後、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はヒマラヤを越えてインドに亡命した。チベット仏教も文化も迫害され、徹底した監視社会が生まれている。慧海の潜入ルートをたどる著者の旅は、国境地帯の複雑な政治情勢を身をもって体験する旅でもあった。
求道者として世界平和を願っていた慧海は、浄土からこの現実を憂えているのではないだろうか。 (中央公論新社 3300円)