「大楽必易」片山杜秀著
「大楽必易」片山杜秀著
伊福部昭はゴジラのテーマの作曲者として知られている。
♪ドシラ ドシラ ドシラソラシドシラ
この旋律に心をわしづかみにされた子どもはいったいどのくらいいただろう。
著者・片山杜秀もそのひとりだった。大きくなっても伊福部への憧れは募るばかり。その思いが天に届いたのか、クラシック音楽愛好サークルに所属していた大学時代に伊福部本人と対話する機会を得る。
以来、尾山台にあった伊福部邸に呼ばれるようになり、さらには自伝の下書きのまとめ役として長いインタビューを繰り返した。50歳も年上の大作曲家に全力で向き合い、膨大な言葉を引き出した。そのときの「直話」を土台にして書かれたのがこの評伝。2006年に91歳で没した伊福部の生前の肉声がたっぷり収められている。
伊福部昭は北海道で生まれ育った。北海道帝国大学農学部在学中は学生オーケストラのコンサートマスターを務め、卒業後は北海道庁の林務官として働きながらシンフォニーを書いた。バイオリンも作曲も独学。天才である。
幼いころに伊福部の心に刻まれた音楽的原風景がある。亡命ロシア人が通りで弾いていたバラライカ。酩酊したアイヌの老人が口ずさんでいた歌。内なる民族性に触れてくる音だった。北海道から北アジアへ、ロシアへ、スラブへ。音の美意識がつながっていく。
近代日本が受容した西洋音楽の主流からはずれた土俗的な伊福部の音楽は、クラシック楽壇から冷遇されがちだった。戦後は映画音楽に活路を見いだし、大衆の心をひきつけていく。
伊福部のモットーは「大楽必易」。「偉大な音楽はわかりやすいもの」という司馬遷の言葉である。進歩的な技巧も前衛的な実験も作曲者の自己陶酔も排し、伊福部は単純な音楽を目指した。
だからこそあのゴジラのテーマは普遍性を獲得し、聴く者の耳の奥で鳴り続けるのだろう。
(新潮社 2970円)