奴隷から剣闘士になった男の復讐劇
「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」
古代の英雄史劇のたぐいはスペクタクル映画と呼ばれるが、原義は「見せ物」だ。古代世界を壮大な神話のように描き、海が真っ二つに割れるなど派手な見せ場がジャンル名の由来になった。
このスペクタクルに昔からこだわりを見せる監督がリドリー・スコット。昨年「ナポレオン」で重厚な史劇を手がけたばかりだが、わずか1年後に古代ローマ時代の本格スペクタクルを披露する。来週末公開の「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」である。
第1作はほぼ四半世紀前。主演のラッセル・クロウはこれでスターの地位を確立した。今回の作品はその続編で、クロウが演じた英雄マキシマスの非業の生涯を受け継ぐ次世代の物語を描く。
北アフリカで孤児として育てられた男がローマ軍と戦って敗れ、奴隷から剣闘士になる。見せ場はコロシアムでの激闘と入り組んだ復讐劇だ。しかし、奇想天外なビジュアルならSFで見慣れた目には、共和制といいつつ独裁者の言いなりの元老院や、気まぐれなローマ市民大衆の変節ぶりの方が目につく。
前作では大衆の顔色をうかがう独裁者の存在が話の要だったが、本作では暴君の暗愚につけ込んで側近にのし上がるデンゼル・ワシントンの悪役ぶりに力が入る。社会の周縁にいる野心家は、権力者になるより権力を操る存在を目指す。米大統領の側近たる補佐官も、ニクソン政権を牛耳ったキッシンジャーから重要な地位に変わったのだ。
カギになるのは、ポピュリズムへの対し方。水島治郎著「ポピュリズムとは何か」(中央公論新社 902円)は、ポピュリズムには2つあるという。
1つは議会を迂回して民衆に直接訴える。もう1つは庶民の立場で権力エリートを批判する。前者は上からの扇動型、後者は下からの反権運動型といえようか。ではトランプは? という話はまた改めて。
〈生井英考〉