野良猫が根城にする境内を仲立ちに描く人模様
「五香宮の猫」
「観察映画」を標榜するドキュメンタリー映画作家・想田和弘の最新作「五香宮の猫」が先週末公開された。6年間で4作目。テレビでなく劇場公開が主なドキュメンタリストとしてはハイペースだろう。
岡山県牛窓。瀬戸内海のひなびた港町にある小さな神社。その境内を根城にする野良猫たちの話だが、世の猫好き映画とは少し違う。
しだいに浮かぶのは境内を仲立ちにした人模様。野良を相手に猫好きとアンチのせめぎ合いが、さざ波のように小さくあわ立つ。
例によってナレーションも劇伴も字幕も一切ないから、対立も荒ぶることはない。これが定番のテレビドキュメンタリーなら、ナレーションの誘導で小さな意見の相違が大げさな「分断」に見えたりしそうだ。しかしここでは人間関係の綱引きはあっても、いがみ合いには至らない。
ひとつには監督自身の目配りの変化もあるのだろう。大都会ニューヨークからコロナ禍を機に夫婦で牛窓に移住して3年。これまではいわば「外からの」観察者だったのが、共同体の内に根づいて見えてきたものがあるようだ。
突然の驟雨に雨宿りする猫たち。猫を迷惑がりながらも境内の土いじりに通う老人のつぶやき。監督自身の存在もてらいなく見え隠れする。
「観察」とは世界のあるがままに目を凝らすことだが、齢を重ねて若いころにはなかった自在さがそなわってきた。
観察の自在といえば庄野潤三である。身辺雑記のように身近の出来事だけを淡々とつづりながら、ほかに類のない文学世界を築いた作家。わけても「ガンビア滞在記」(みすず書房 2750円)に始まる米国中西部の一連の生活録は、わずか1年間ながら地元の社会と深い絆を培ったことが繰り返し語られる。「自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいと考える」と書いた作家こそ、観察の人だった。 (生井英考)
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